日本平和祈願協会 no.3 2012-08-08 06:16:58 |
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いじめ対策法とあるけれど、そもそも誰がこの対策をするのか、
主語の部分が抜けちゃってから机上の空論になってると思う。
確かに量刑を重くするなどの抑止力というのは、
いじめとか、ひいては反社会的な行動に対して効果的。
その点はおおいに認めたいと思う。
でも、僕ら市民には立法権はない。
したがって量刑を重くすることはできない。
このことは多くの人がこの掲示板の中でも批判している。
じゃあ、政治に任せりゃ、いじめはなくなるのか、
そんなことはないというのが現代の我が国における感覚だろう。
僕らは僕らなりにいじめの対策を講じていかなければならない。
だから、「僕ら」を主語にしていじめ対策法を考えれば、
この掲示板での議論も少しは有益になると思う。
じゃあ、「僕ら」っていったい何か。
いじめる側にもなるし、
いじめられる側にもなるし、
いじめを傍観する立場になることもある。
いじめを止める仲介者にもなるし、
いじめられている様を見て楽しむ観衆にもなりうるだろう。
「僕ら」とは、
いじめる主体であり、
いじめられる標的であり、
いじめをエスカレートさせることもできるし、
いじめの抑止力にもなれる。
そんな存在。
常にいじめは僕らのまわりある。
僕らは色々な角度から絶えずいじめに関わっている。
いじめは人間として許されない行為だ。
この2つことを忘れないで、
いじめには毅然とした態度でノーを突きつける。
いじめをしない、いじめに気がついたら止める、
いじめを許さない雰囲気作りが一番のいじめ対策法なのでないかと思う。
ごくごく当たり前で、そんなことはいじめ対策法と呼ぶこともできないかもしれない。
でも、僕らにこれ以上にできることがあるだろうか。
当たり前のことを忘れない。
人間として基本的なことを忘れなければ、それでいいと思う。
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