春兎 2017-04-16 23:22:19 |
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四月から乗り始めたバスは、時間によって三種類の系統を使い分けているせいか、いまいち道が頭に入ってこない。
いつ見ても新鮮な景色は何度見ても飽きなくて、今日もじっと窓の外を眺めていた。
きっと、ふいに間違った道に入ってしまっても気が付かないだろう。そのまま、こことは違う世界に迷い込んでしまったらどうなるだろう。
そんなことを考えながら窓にもたれかかっていると、透明のガラスに、透明の雫が一滴落ちた。
あれ、と思った瞬間には、雫の数はどんどん増えて、垂れた水は線になっていく。
「傘、持ってないのに」
隣から聞こえてきた言葉に思わず振り返ると、声の主は驚いたように目を瞬かせ、はっと口を手で覆った。
「ごめんなさい、口に出ちゃってましたか」
気まずそうに紡がれた言葉は語尾がどこか丸くて、耳にストンと入ってくる心地よい声だった。
そんなことないですよ、と嘘をつくのも可笑しな話だし、ただ一つ頷きを返すと、口元を覆っていた手は恥ずかしそうに顔を隠した。
「いつも、なんです。咄嗟に思いついたことが抑えられなくて。特にこういう静かな所だと余計に。頭の中で考えてる言葉が鮮明になって、思考なのか声なのか分からなくなるんです」
顔が覆われてるせいで少しくぐもった声は、やけに饒舌だった。照れ隠しもあるだろうけど、きっと良くも悪くも素直な人で、隠し事なんて出来ない性分なのだろう。
「なんとなく、分かります。それに、静かな場所で浮かぶ言葉は、嘘も柵も無い物が多い」
相手に誘起されたのか、我ながらやけに詩的な言葉を使ってしまったような気がして、恥を誤魔化すように再び窓へ視線を戻した。
会話が終わったと思ったのか、それ以上話が続く事は無かった。ただ、さっきまではまるで一人きりで居るようだった室内で、隣の存在をはっきりと感じるようになっていた。
結局、相手も自分と同じ終着駅で降りるようで、最後まで椅子から立ち上がる気配はしなかった。
雨脚は徐々に弱くなり、降りる頃にはすっかり止んでいた。
「あ、止んだ」
思わず口にしてしまったのは、やっぱりさっきの相手に影響されているに違いない。ぴったり重なった声に、一度目とは異なる意味で振り返る。
顔も口元も隠れていない、嬉しそうな、どこか恥ずかしそうな笑顔は、これからの晴れ空を見るようだった。
▷▶雨 の 日 の バス
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