都々 2016-06-18 21:21:15 |
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ひとつくらい、あたしにも分けてくれたら良いのに。
温い風が体に纏わり付く夏の夜。ベランダから見える人工的な明かりを見る度、そんな考えが浮かんでは消えた。
街は夜であることを忘れているかのように未だ光で溢れ返っている。新しくも古くもないアパートではあったが、高台に建っているからか2階に住んでいてもベランダに出ればこの街の風景はそれなりに見渡すことができた。その景色を見ていると何だか深いため息を吐き出してしまいそうで、持っていた缶ビールを思い切り傾けて喉に流し込む。安っぽい味とアルコール独特の匂い。缶を呷った時視界に入った空はぼんやりとしていて、こんなにもセンチメンタルな気分であるというのに星の1つも流れやしない。ゆっくりと点滅する飛行機の光が夜空に浮かんではいたものの、それを星の代わりと言うにはあまりにも無機質で雰囲気の欠片もなかった。
仕事も勉強も、決して苦ではない。大変だと分かった上で両立させることを選んだのは自分だ。職場でお礼を言われたり評価されることだって最近は増えてきたし、何から何まで意味不明だった参考書も今では暇さえあれば開く生活の一部と化していた。
それでも、仕事を終え勉強にも区切りがついたこんな夜、ふと心から何かが抜け落ちてしまっているような感覚に陥る。疲れているだけだから寝てしまおうと思える程の軽さはなく、けれど絶望する程の重さもない。そう、丁度スーパーで買ってきた安い缶ビールと一緒に流してしまえるくらいの。
__高卒フリーターでアルコール依存症とか、笑えない。
アルコールの量には気を付けなければと思いつつ新しい缶を手に取ろうとしたその時、カラリと隣の部屋から窓を開ける音が聞こえた。手すりにもたれ掛かっていた体を僅かに浮かし振り向けば、ベランダに出て来た隣人の女子高生と目が合う。
通常、ベランダには部屋と部屋の間を仕切る板が用意されている。しかし、前の住人同士で何らかのトラブルがあったのか、この部屋と左隣の部屋との間の仕切り板は上半分が綺麗になくなっていた。意図的に取り外したにしては荒っぽい痕跡が残された白い板。管理人に言えば修理して貰うことも出来たのかもしれないが、隣人が年下の女の子であると知って放置していた。隣人がそれを気にする性格の子であれば管理人に報告するだろうとも考えていたが、何時まで経っても直る気配のないそれに、どうやら女子高生も相当あっさりした性格であることは簡単に想像できた。
そんな彼女ときちんと顔を合わせたのは今が初めてである。何しろ花の現役女子高生と金欠フリーターとではライフスタイルが違いすぎる。彼女が引っ越しの挨拶に来た時もあたしは酷い風邪を引いていて、インターホン越しに声を交わしただけだった。
二人の間に何とも言えない空気が流れる。女子高生はじっと此方を見つめているが、話しかけてくる様子もなければ気まずさを感じて部屋へ帰る素振りも見せない。
「 あんたも飲む? 」
自分が飲むつもりで手に取った缶を何気なく彼女の方へ傾ける。何とも言えない空気は相変わらず流れ続けていたものの、ふと何かが緩んだような気がした。それが何かは分からなかったが、少なくとも彼女の表情でないことは確かである。完全な無表情と言うには人間味があり過ぎる雰囲気の彼女からは、まるで感情をどこかに置いてきてしまったかのような印象を受けた。
「 ‥‥未成年なので 」
ああそうだったと思い出したのはその台詞を聞いた後で、やはり酔っているのだなと苦笑を漏らす。踵を返した彼女の後ろ姿を見てもう部屋に戻ったのかと思ったが、女子高生は意外にもすぐに帰って来た。左手にはサンダルを、右手にはペットボトルのコーラを持って。
彼女は何も言わなかった。無言のままサンダルを履いてベランダに立ち、此方を見向きもしないでコーラを一気飲みし始めた。その光景に思わず吹き出しそうになりながら、あたしもまた新しい缶を開ける。
そんなにぎらぎら輝いてるんならさ、ひとつくらい、あたしにも分けてくれたら良いのに。幸せとか、光とか、希望とか。‥‥まあでも、無理だって言うんならあたしが掴みに行くしかないか。
飛行機も何時の間にかどこかへ飛んで行ってしまったらしい。初対面の女子高生と一緒に赤い点滅すらなくなった頼りない夜空を見上げる。心から抜け落ちた何かの分の穴は、コーラの弾ける音がすっかり塞いでしまった。心も体も少しだけ軽いのは、きっと酔っていることだけが原因ではない。
そうだ、自己紹介をしよう。彼女の名前も聞いて、それから__
▼ 炭酸に満たされるベランダ
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