神技(シンギ) 2015-12-06 05:44:43 ID:e387a492e |
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『鈍色を撹拌して』
明日は晴れるみたいね。
狸の予報も躍起が回ったか。
蒼い空にも蓋がかかり爛々と輝く太陽もくすむ。
分厚く重苦しい暗雲は空を制し、今にも雨粒を落とそうとしている様に見える。
当分は雲の上に広がる青空を見ることは出来なさそうだ。
そんな憂鬱な想いの主は鬱蒼とした竹林の最奥、1本の青竹の先端部に立っていた。
踵でのみ重心を保ちまるで竹林の一部になったかのように微動だにせずただ一点、向こうの蒼空を見つめる。
「バカタヌめ、腕が衰えましたね。師という立場に胡座をかいて怠惰な生活をしているから…。それにしても雨、本当に憂鬱ですね。」
白を几帳とした小紋を羽織り神獣の証憑である9つの尾は邪魔にならないよう一つに纏められている。
雨音。
異常信仰の末路。神格化の極み。人外の使徒。 ヒトの妄執により神の域へと堕ちた憐れな狐。 悲哀の神狐は頭より伸びた大きな耳を揺らし、雲の行方を眺めている。
どうにも今朝からこの調子が続き、鍛練する気にもならない。
「(と蓮華には言ったものの私も天候に左右されていますね。今日は特に酷い。)」
辛気臭い気分に浸りながら今にも雨を呼んできそうな湿気と頬を撫でる微風を感じていると、湿気に混ざり漂う異様なモノに気付く。
微風に乗り頬を掠める瞬間、そのまま通り過ぎていく風とは別にベッタリとこびりつく様な感覚。
高位の神獣が放つ気に当てられてかこの近辺ではまず感じ得ることはない巨大な妖気。
幸いにも巨大な塊が一つ感じられるだけで他には存在を感じない。一ヶ所に複数集まっているという可能性も考えたが、並大抵の怪異ならば当てられた途端に形状を維持できず液状化するのが定例の為、その考えは即座に振り払った。
「たまには散歩でもと思っていただけなのですが…。仕方ないですね。」
意識していないとはいえ自分のせいでこうなってしまっているのだ。被害者が出る前に討つのが定石。弱者を助ける、なんていう高尚な意思で行うのではない。責任の所在を考えれば自明の利であろう。
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身体が熱い。
血が滾ぎり肉が熔けそうになる。
眼球は血走り、意図せず呼吸が荒くなり唾液が口から滴る。
胸の奥より競り上がる食欲と肉欲に身を任せ、目の前を疾駆する小柄な影をひたすら追い掛ける。
妖怪・絡新婦は人の擬態を捨て先刻より身体の内でくぐもる魔力の火を纏う。
人体でいうところの脊髄にあたる部分より巨大な3対の脚を生やし這うように疾る。
獲物を見据え確実に追う。
追う身体にもより一層力が籠り先程まで行っていいた走る動作から次第に跳ねる様な動作へと移行していく。
ーーアァ、クイタイ。ソノミヲクイタイ。
追っている影が放つ柑橘のような汗の匂いと咽び泣くように籠る声が本能に訴えかけてくる。
アレを喰らえ、と。
水滴が滴る白く健康的な首筋、疾駆する体を支え前へ前へと押し出す脚、早さを求め一秒でも早く逃げようとアクションを起こす腕。
逃走を試み、今なお生へとしがみつこうとする身体に徐々に近づいていき、そして…
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「大丈夫ですか?…そんなに怯えなくてもいいですよ。安心してください。先程まで貴方を捕食せんとしていた妖怪は消滅しました。」
少女に襲い掛かった歯牙は間一髪のところで割って入った刀によって引き裂かれた。
滑り込むように食い込んでいく刃はいとも容易く蜘蛛の甲殻を破り、その命を絶命させる。
「(まあ、絡新婦自体かなり有名な類いの妖怪ですので数日もすれば甦るでしょう。その時にまたお伺いしますね。)」
ほんの数分前まで命の終わりに瀕していた少女は息絶え絶えになりながらもじっくり時間をかけて呼吸を整え、身なりを直すと雨音の前に直立し、
「あ、あの!ありがとう、ござえ…ございませ…、ございました!!」
盛大に複数回言葉を噛みながら声高々に感謝の意を示すと深々と頭を下げた。
それはもう見事なまでに鋭角に腰を曲げ、全身全霊で感謝を表している。
「え、えぇ。無事なら良かったです…」
普段と同じように身から出た錆に応じた結果、助かっただけの彼女に謝礼を言われる覚えは無い。
正直、この結果には流石の雨音も戸惑いを隠せない。
ここで長々と彼女に囚われ命の恩人扱いを受けると考えると精神的に参ってしまう。というか神様として扱われたことはあっても恩人扱いはされたことがない。
どう接して良いものか分からない以上、謝礼を言われた相手に気を使い続けるというよく分からない状況に陥り兼ねない。
そんな二重苦を脱するには『それは良かった』と適当に流しこの場を後にするのがベスト。
が、そうは問屋が卸さなかった。
儀礼的に感謝の言葉に応じ、背を向けその場から立ち去ろうとする雨音の尻尾に違和感を感じた。
突然訪れた未知の感覚に内心驚きながらもギギギギ、と間接が軋む音が鳴りそうな程おずおずと首を回すと、そこには少女が立っていた。
「是非とも正式な形での謝礼を行わせて下さい!私の入信している『水彩教団』にて!!」
フサフサと質の良い尻尾を軽く摘まみながら輝くような満面の笑みを浮かべこちらを見詰めていた。
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