土佐人 2015-05-26 05:15:51 |
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すみれは膝の上に肘をつき、両手を組む。手の甲の上に小さな顔を載せて微笑む。
「誘惑されるんじゃないか、と思ってるでしょう」
ど真ん中の剛速球にどぎまぎした。この状況でその可能性を考えない男がいたら、そいつはウスノロか大嘘つきだ。
「こう見えても、昔はモテたのよ」
すみれは朗らかに笑う。きっとそうだろうなと思う。昔は、という限定詞を外しても、おそらく僕は同意しただろう。
「でも、なかなかうまくいかないの。寄ってくるのはろくでなしだし、追いかけると逃げるいくじなしはかり。あたしってば、男運は悪いの」
男には二種類しかいない。勇ましいろくでなしと腰抜けのいくじなしだ。すみれに寄ってきたのは勇気があるろくでなしで、逃げ出したのが腰抜けの方だ。
「これは誘惑じゃない。それならもっとうまくやるわ。あたしは天馬君にあたしたちの本当の姿を知ってもらいたいだけ。でないと、あたしは……」
僕の眼を覗き込む。それから視線を窓に向け、呟く。
「でも、どうでもいいと思っている相手には、こんなこと言わないから、やっぱり誘惑なのかな?天馬君て不思議。捨てられた子犬みたいに、つい頭を撫でたくなる。そうやって人の心を開かせてしまうのね。こういうタイプって、本当に始末が悪いわ」
かつて葉子はそれを、この世でひとりぼっちの赤ん坊の吸引力と呼んだ。
葉子が言ったことがある。
……天馬君は、一見優しそうだけど、自分の気持ちは他人(ひと)には見せないのね。
すみれの脳裏には他の誰かが浮かんでいて、僕と比較している。ふと、そんな気がした。僕たちは向き合いながら、他の空間の相手と会話しているのだろうか。
海堂尊『螺鈿迷宮』ニ十ニ章 天空の半月 本文 天馬大吉 桜宮すみれ 別宮葉子 より
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