土佐人 2015-05-26 05:15:51 |
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1995◆結婚をした。やがて私は論理ではどうにもならないことを思い知らされる。翌年、第一子が生まれる。人格として相手を認める気になる最低限の条件は、シモの世話を自分でできることだ、と心底実感する。
瀬名秀明さんの『パラサイト・イヴ』が大ベストセラーとなり、小説の舞台と同じ分子生物学教室で研究をしていたこともあって、これくらいなら自分にも書けると思い込み書き始める。「健康な男子がある日怪我をし、入院先の病院で真面目な看護婦が一生懸命ケアしてくれるのに、何故か怪我がどんどん病状が悪化していく」という物語を何も考えずに書き始め、五枚で挫折。この程度の思いつきで小説を書けると信じていた。あの頃の自分の能天気さが信じられない。だかふと、今も同じようにやっている自分に気づき愕然とする。
この時のプロットは十年後『螺鈿迷宮』として復活する。『螺鈿迷宮』は構想十年というホラを吹いたが、ウソではない。それにしても、どうしてある日突然書けるようになったのだろう。謎だ?
海堂尊『ジェネラル・ルージュの伝説』History 海堂尊物語 大学院生時代(外科医+病理医) より
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