土佐人 2015-05-26 05:15:51 |
通報 |
三人のクレームが一斉に噴出した後、黒崎教授がコメントを取りまとめる。
「お前のように頼りないヤツに率いられるとは、東城大もとんだ災難だ。仕方がないからワシたちが、お前が転ばぬように、みっちりと監視してやる」
振り返ると、高階病院長は新たな煙草に火を点けながら、苦笑している。
部下が上司よりふんぞり返るであろう、そんな連中を引き連れて、一度は潰れた東城大学医学部付属病院の復興をしなければならないなんて、茨の道どころか、ガラスの破片があふれる瓦礫の山を裸足で歩くようなものだろう。
だが、それもいいではないか。所詮この世はそんなものだから。
俺は病院長室の窓に歩み寄ると、窓の外の景色を眺めた。
自分の姿をハーフミラーになった窓に映し見る。すと一瞬、俺の姿が三つ頭のケルベロスに見えた。これから俺は冥界と現世の間を行き来する番犬になるのだろう。
あるいは、大学病院と市民社会の境界線を綱渡りするピエロだろうか。
いずれにしても、長く険しい道になることは間違いない。
だが、俺は覚悟を決めた。
心配ない。いつでも俺は、そうやって綱渡りで生きてきたのだ。
振り返ると俺は、大勢の人々の温かい視線に包まれていた。
思わず照れてしまい、再び窓の外に視線を投げる。
ふと、この窓から見える桜宮の風景が大好きだったという古い記憶を思い出す。
院長代行になるということは、この窓からの景色を独り占めできるということだ、と気付いて呆然とする。それは長い間ずっと、叶わぬ望みだと思っていたからだ。
願いごとは叶う。ただし半分だけ。そして肝心の願いごとを忘れ果てた頃に。
どうやらそれが俺の宿命らしい。
桜宮湾の水平線がきらりと輝いた。
眼下では今、暑かった夏が終わろうとしていた。
海堂尊『ケルベロスの肖像』最終章 東城大よ、永遠に 本文 田口公平 黒崎誠一郎 より
トピック検索 |