土佐人 2015-05-26 05:15:51 |
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「ふたつ目の心残りは、ひとつ目よりもはるかに大きく、深いものです」
高階病院長は窓から遠く、海原を見た。
「昔、あの岬に桜の樹を植えようとした人がいた。私はそれを引っこ抜いた。それが正義だと信じていました。でも、長い時を経て今、自分の間違いに気がづいたのです」
その話は以前も桜宮岬で耳にしたことがある。あの時は詳しく聞けなかったが、今なら聞ける気がした。
「桜の大樹とは何のことですか」
「スリジエ・ハートセンターという大輪の花です。私はあの時、夜空に燦然(さんぜん)と輝くモンテカルロのエトワールを、地に叩き落としてしまったのです」
天才心臓外科医、モンテカルロのエトワール、天城雪彦。
天城先生が創設しようとしてた心臓疾患センターが頓挫したことを、速水とても残念がっていた。時を経て救命救急センターのセンター長に就任した時、スリジエではなくオレンジになったが、桜宮に一本、大樹を植えることができたと喜んでいた。「それはたぶん大丈夫です。速水のヤツがオレンジ新棟のトップに就任した時に、オレンジはスリジエの生まれ変わりだ、と言っていましたから」
「そうですか、あの速水君がねえ……」
高階病院長は、深いため息をついた。
こうして考えると、確かに俺は、東城大の歴史のど真ん中に近い場所にいるのかもしれない。高階病院長の跡目を継ぐなどとんでもないが、少なくとも東城大な一隅を支えていかなければならない宿命にあるような気がしてくる。
海堂尊『ケルベロスの肖像』4章 東城大の阿修羅 本文 田口公平 高階権太 より
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