土佐人 2015-05-26 05:15:51 |
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「そんなん、ほんまにやっても誰も笑わへんから、それくらいの本当の気持ちで、子供も大人も神様も笑わさなあかんねん。歌舞伎とかもそうやんな」
歌舞伎も能の起源は神に捧げられる行事であったと聞いたことがある。確かに誰にも届かない小さな声で、聞く耳を持つ者すらいない時、僕達は誰に対して漫才するのだろう。現代の芸能は一体誰のために披露するものなのだろう。
「伝記って、その人が死んでから出版するんですよね」
「お前、俺より長生きできると思うなよ」と神谷さんは鋭い目で僕を睨んだ。
どのようなテンションで、この言葉を発しているのだろう。
「生前に前編を出版して、死語に中編を出版やな」と一変して今度は楽しそうに言う。
「後編気になって、文句出ますよ」
「そんくらいの方が面白いやんけ」
神谷さんは伝票を持つと席を立った。
帰り際に、「握手が強過ぎるゴリラ同士の握手みたいやったな」と言われた。僕は先輩と呑むはじめての経験に緊張していたのだが、神谷さんも同じだったのかもしれない。
「ごちそうさまでした」と僕が言うと、神谷さんは「全然、全然」と眼を合わさず恥ずかしそうにして、「俺、こっちやから、またな」と言い残し、どこかに去って行った。
「お前の言葉で、今日見たことが生きてるうちに書けよ」という神谷さんの言葉を思い出すと、胸の辺りに温もりが満ちて行く感覚があった。書くことが楽しみなのだろうか。情熱を預ける対象が見つかったことが嬉しいのだろうか。宿に帰る途中でコンビニに寄り、いつもより少し高いボールペンとノートを買った。涼しい風の吹く海沿いの道を歩きながら、どこから書き始めるかを考えた。見物客は宿に収まりきったのか、人影はまばらで波音が静かに聞こえていた。耳を澄ますっ花火のような耳鳴りがして、次の電柱まで少しだけ走った。
又吉直樹『火花』より
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