土佐人 2015-05-26 05:15:51 |
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その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心待ちがした。神戸から東京までは直行で新橋へ着いた時は、ようやく沙婆(しゃば)へ出たような気がした。山嵐とはすぐ分かれたぎりきょうまで会う機会がない。
清のことを話すのを忘れていた。-----おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄(かばん)をさげたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら、坊ちゃん、よくまあ、早く帰って来てくださったと涙をぼたぼたと落とした。おれもあまりうれしかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと言った。
その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給はニ十五円で、家賃は六円だ。(略)死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
夏目漱石『坊っちゃん』より
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