風人 2014-11-30 06:00:58 |
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『ナイチンゲールの沈黙』で小児科病棟で子どもの患者に不定愁訴外来を受けさせてみようかという案が持ち上がった際に子どもでも打算や競争があるみたいなことは書かれていた。
だけど『桜宮サーガ』のシリーズが進むたびに大人社会の打算は凄まじいものがある。
『ブラックペアン』では渡海先生が佐伯病院長の失態を露にしようとし、『ブレイズメス』では天城雪彦先生のやり方に高階先生以下誰もが反発を抱く。
『極北シリーズ』で今中先生の苦労を室町院長は鼻で笑い世良先生は台無しにしていく。
『ジーン・ワルツ』『マドンナ・ヴェルデ』はやや母性に溢れた作品だから打算そのものは少ない。このふたつの作品は母性を問いかけるニュアンスもある。また生まれてくる子どもにたいして。
東城医大もだけど白鳥さんらがいる霞ヶ関は伏魔殿、打算のカタマリとも表現できる。
『イノセント・ゲリラ』『ナニワ・モンスター』では如実に顕れている。
善悪はともかくとしてあの斑鳩室長にしても何かしらの信念はあるように見受けられる。彼は医療が主導権を持つことはままならないんだと思う。
『肖像』では桜宮小百合に活躍の場を譲っただけ。大人として分をわきまえた。それは『肖像』のエピローグで語っている。
大人も子どもも本質はもしかしたら変わらないのかもしれない。表現や方法が異なるだけ。
そんななかで田口先生や今中先生みたいに出世を求めない人物いれば白鳥さんや彦根先生みたいにギリギリ綱渡りしながら高みを目指す人物もいる。そのなかで己の目的や目標に辿り着こうとする。
斑鳩室長は本意がわからない人物。高階病院長の方がわかりやすいくらい。
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