ハク 2013-03-14 23:58:24 |
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人に嫉妬するのは自由だと思う。
俺は人に無関心な自覚があるし、自分にも無関心だとよく理解している。
自分に「感情(おもにプラス方面への)」があるのかすらわからなくて、当然のように他人の心なんてわかるはずもない。
だからってわけでもないけど、人がどう思ってどう行動しようと、どうぞご自由にっ感じに生きてきた。
「僕」が俺に恋心を抱いても、まあそれも自由だろう。
「僕」が俺達に嫉妬しようと、まあそれも自由なんだろう。
「僕」が自由で身勝手でいい加減で客観的に物事がみられなくて未来の展望があり得ないぐらい出来なくて理想主義で希望的観測ばっかりで何の根拠にも基づかない発言しか出来なくて俺が非常に嫌いかつ苦手な性格をしているのも、自由である。
正直、軽蔑はしている。嫌悪感もある。
が、否定するつもりはない。自由だから。
俺にそれを強要しない限り、それは「僕」個人の責任であり、一切の意思決定は「僕」に委ねられる。
そこに俺の感情は及ばないし、何者にも犯されない領域だろう。
だが、俺にも同じように領域があるのを忘れるな。
感情がないが意思はある。だれかになにかを任せるなんてありえないし、自分の行動に伴ってくる責任も理解している。それ相応の行動はしてきたと思うし、「俺」を演じる上で必要であろうことはそれなりにこなしてきた。自分が完璧だなんて自惚れは一切ないと断言できる。だが、繰り返しになるが俺にも領域がある。
嫉妬、という行為について、俺の解釈を述べておきたい。
念のためではあるが、これはあくまで俺の感情の整理をつけるための行為であり、このせいで誰かが不快になるとか前の発言と矛盾しているとか人を傷つけることになるとかは一切考慮していない。
人には領域が伴う。人間的に未完成、不完全な俺にも領域があるのは前述した。
嫉妬はそれを穢す行為である、と俺は思う。
その人の領域、つまり意思があるもとでの行動にケチをつける、といったほうが適切かもしれない。もちろん嫉妬する側にも意思があり、それは一向に構わない。俺がここで言いたいのは、嫉妬している、ということをその本人に言うということについてである。
「嫉妬しているんだけど」 この言葉だけであれば、もしかしたら可愛げがある発言なのかもしれない。だが言い方を変えてみようか。「君の行動、すごく不快だよ」「ホント、そうゆうのやめてくれない? マジ嫌なんだけど」「人の気持ち考えて行動してよ」「何でそういうことするの? 私が嫌がってるのがわからない?」 多少の過剰表現はあるかもしれないが、正直俺にはこう聞こえる。男女の差は一切考慮していない。
それで、俺はどうすればいい? むしろ俺はこれを問いたい。
嫉妬しているのはわかった。不快なのも理解しよう。嫌だということもまあ、納得できないこともない。ある程度生き方のアドバイスとして受け止めることも可能だろう。
だが、どうすればいい、ということが何にも言われていないのは無責任だ。
怒るだけ怒っておいて、どうすればいいかは自分で考えて、ということだ。たとえるなら、養子縁組によって子供をもらってきたのに、一切の育児をしないのと同義だと俺は考えている。
「嫉妬しているんだけど。もう少し私とも仲良くしてよ」とか「二人だけで会話を盛り上がっててずるい! 私の気持ちを考えてよ。私にもわかる話をして」とか、発言の仕方ならいろいろあるだろう。
たとえそれに対して俺が「うぜぇ」って思っていたとしても、たぶん俺はそれを顔に出すようなまねはしないし、俺の領域内に抑え込んで表面上は笑っているように思う。
もしそれが表面に出るようになった場合、それは今度は「俺」に問題があり、非は俺にある。
俺としても、他人の心中まで否定するつもりはない。
まとめると、嫉妬とは他人の領域の否定であり、非常に不愉快である。が、そこに未来の展望、または改善を求められていると認められる発言があった場合、それはアドバイスであり、結果として不快感は個人の管理下に置かれるため、それによってさらなる火種をまき散らすことはできない。
繰り返すがこれはあくまで俺の領域に基づく意見であり、この発言に対する俺への責任は発生する。が、他人がどう思うか、どう感じるかはその人自身の領域内のことと判断し、俺は一切の責任を拒否する。
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