2025-01-26 00:23:08 |
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……痛みを知らない子供は恐れもしない。火に指を伸ばして、崖を覗き込み、闇の中に踏み込んでいくものだ。……そういう意味では、俺は随分長い間、子供だったんだろう。
(二つの問いかけが心に揺らぎを生じさせたことを悟られぬよう、視線を上げることはせず、無言のままスケッチの線をなぞる動作を繰り返して思考の間を稼いだ。ひとつめの問いに対してはさして迷わずに答えが出た。芸術を求める道の途上で恐れを抱いたことはない。最初に炭を握り紙の上に影を落とした瞬間から、その行為は言葉など不要なほど純粋な歓びそのものであり、疑念も逡巡もほんの一欠片たりとも入り込む余地はなかった。才能にも恵まれ、それだけが己を表現する唯一にして絶対の手段であったが故に、筆を握ることはただひたすらに幸福であるはずだった──いや、幸福でなければならなかった。彼女の問いの後半、“今、幸せか”──その言葉は容赦なく突き刺さり、鉛筆の先が震えて紙の上に刻まれる線が微かに乱れる。眉を寄せ、誤魔化すようにスケッチの角度を変えた。直向きに光を追い求める無垢な子供でいることは叶わない。仕事とはそういうものだと教えられ、芸術は自由であるべきだと高尚な信念を掲げたつもりでいながら、現実は貴族たちの望む肖像画を描き、彼らの虚飾を彩ることに費やされる。理想と妥協の狭間で足掻きながらも、他に何も持たない自分には筆を置くことは許されなかった。選ぶ余地など初めからなかったと自らを思い込ませ、それでも折り合いをつけられていないことを、彼女は見透かしている。そこに悪意など微塵もないのが分かるからこそ尚更たちが悪い。沈黙が降りる中、指に余計な力がこもり紙が軋む音が耳を打った。言葉にならない何かを噛み潰し、視線を躱すように頭の角度を深くして。苛立ちとも焦燥ともつかぬ感情が湧き上がるのを、理性が制しようとする。良くない事だとわかっている。わかっていたのに、気づけば言葉が零れていた。)
──…貴女こそ。貴女は……愛しているのか? “彼”のことを
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