東 2024-07-20 01:24:27 |
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…………いや、どう考えてもこの六角は使えねーだろ。
(――時が経つのはあっという間だ。あんなに寂しいと感じた卒業式、バイト先への挨拶、引越しの準備と手続き。大学合格の感動もそこそこに、時間のなさから半ばほとんど下見をせずに環境状況だけで決め打ちした安普請なアパートの一室で俺は組立式のガラステーブルと睨めっこしている。モノトーンの色調とデザインの良さでこの価格かと買ってはみたものの、付属のネジを止める六角レンチのサイズとネジ穴のサイズが微妙に合っていない。上下逆かとも思ったがそういう問題じゃない。あとひと息とかでもなくマジで入らねぇ。
付属の説明書に書かれた『正式な安心! 新生活にピッタレ!』という胡散臭い日本語がすべてを物語っていた。
フッと小さな笑いがダンボールだらけの部屋にこもれ出る。最後にはめる為に立て掛けておいたガラステーブルの天板が薄暗く反射して俺の顔を映す。
――鏡が昔から苦手だった。自分の姿をみたくなんてなかった。どれだけ着飾ったところでそれは虚飾でしかなく、中身に澱んだダサい自分と向き合う勇気がいつもなかった。
黒髪に戻した自分にはまだ慣れない。けれど――……今そこに映っている自分は。)
…………笑ってる場合じゃねーだろ。
(自分でセルフ突っ込みをいれる。持っていた六角レンチを放り投げて、俺はスマホを手に取る。明らかに噛み合わないネジ穴と六角を寄せあってカメラを起動。部屋が薄暗かったからか自動で反応したフラッシュでやたらくっきり取れた写真とほんの少しのメッセージを添えて。
『みろこれ。全然合わねーんだけど。』
……お前に笑ってもらえるならこんなトラブルも悪くない。
しゅぽん、と簡易な音で送信を確認して俺は腰を上げた。
荷解きはまだ終わっていない。けれど腹が減ってはなにもできない。幸いにして置くだけの小さな冷蔵庫は起動しているからとにかく近所の散策をしてこよう。
財布と携帯だけ手に取ってほとんど自然に、誰もいない部屋に『いってきます』を告げて靴を履く。そして閉めた扉に鍵。まだ覚束ない所作。
よし。いくか。
ほいっと調子よく中空に放った鍵をカッコよくキャッチしようとして、落とす。
「…………おまえはホントに。」
はぁと嘆息して拾い上げてから悪態をつく。
その鍵の先につけた小さなキーホルダーに。
そこには紅白のクマが俺をからかうように小さく揺れていた――。)
(/今日、この日を迎えられた記念に。他でもない、誰よりもあなたに感謝を。)
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