(既存の教えに懐疑心と限界を感じた聖職者が、奇跡を起こす青年を祀りあげて新たな宗派を興す、というものも考えています。キリスト教に詳しい訳では無いのですが有り体にいえば闇堕ち神父が青年を利用しようと近付いた結果、反対にずぶずぶと取り込まれてしまっているような。青年も単に付き合わされているだけというよりも彼なりの野望や考えがあって動いているというものが好みです。