名無しさん 2022-02-07 20:13:11 |
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あら、わたくし程度などいつでも切り捨てられるでしょうに情けを掛けてくれるだなんてお優しいこと。
( 絢爛な貴族階級が陽ならば野良犬のような人間が蔓延る裏社会は陰だろう、下町のさらに奥は不浄の領域だと教え込まれる貴族子女も少なくはない。彼女も幼き頃からの刷り込みとも言える知識で悪辣な坩堝の如き世界を思い描いていたが、彼を眺めているとそれが必ずしも正しいものではなかったのだと思い直す。読書を嗜む姿からは学が備わっているのだろうと推察でき、ともすれば名前すらも知らない相手の人生の僅かな一片を垣間見たかのような心地になるのだ。どのような本を読んでいるのか、書かれている内容に何を感じているのか、隔てられた世界とて一粒の愉しさは転がっているようで、肌にまとわりつく湿気の不快感も紛れるというもの。それを眺めているのも勿論良い時間ではあるが、半歩の僅かな距離だとしてもこうして歩み寄って反応を返してくれたのだからやはり声を掛けてよかったと、太刀を携えた彼を見上げて。生憎と俯いた角度では目は上手く合わせられないが、寒気すらも震わせるような声音の中にもほんの少しの躊躇あるいは徹しきれぬ非道を見れば、彼の牽制にも動じずに変わらず泰然自若な態度でうっそりと笑って。「 残り僅かならば、躊躇う必要もございませんわね。口煩いと此処で首を落とすのならばそれでも結構、最期を捧げられるのが貴方ならばそれもまた報われるというもの。 」今、この手がしがらみから解放されて自由となったならば神に乞う聖職者のように恭しく手を伸ばしていただろう。加害者を前にして紡ぐそれに媚びの色は滲まず、じっと見つめる瞳にはただ隔てられた向こう側の彼への興味だけがゆらゆらと浮かんでいる。牢獄であろうとも貴族令嬢の矜恃として背筋を伸ばしたまま、人質にしては挑発的とも取れる態度に、恐怖で頭がおかしくなったのだと嗤う者もいるだろうか。「 わたくし、貴方様を恋慕っておりますの。 」先の発言から間を置かず、彼にとってみれば脈絡もないだろうその告白は、異質か異常、或いは冗句や諂と捉えられるのが関の山か。 )
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