ink. 2022-01-01 23:49:38 |
通報 |
目を閉じれば、今もあの歌声が耳に蘇る。
それは貝殻を耳に当てて波の音を聴くのによく似ていた。
彼女の掠れ声が遠くからさざなみのように押し寄せて、気がつくと全身が音の海の中に沈んでいる。
らららら ららら らららららら
らららら ららら らららららら
らららら ららら ららららららら
あの日、夕暮れの校舎裏で、初めて彼女の歌を聴いた。
漏れ聞こえる声に誘われるように足を向けたその先で、彼女は歌っていた。
眩いほどの夕陽をその身に受けて、顔のない真っ黒な影になった彼女は、怪物じみた恐ろしさすら感じさせる。
それでも僕は、その姿から目が離せない、目が離せない、目が離せない──
意識がぼんやりと浮上した頃にはもうそこに彼女の姿はなくて、彼女のなぞった音階だけが耳に残った。
その時から、どうしようもなく僕の心はあの鮮烈な光景に囚われている。
彼女の歌う姿を描き出したい衝動に駆られる。描き出さずにはいられなくなる。
それ以外のことが何も考えられなくなる。
らららら ららら らららららら
らららら ららら らららららら
らららら ららら ららららららら
絵筆に白い絵の具を乗せる。
彼女を描くならきっと白だと思った。
今も耳元で彼女の声が響いている。
僕はもっと深いところへと沈んでゆく。
キャンバスの上にあの日が蘇る。
心臓が激しく音を立てている。
眩むような茜色の光線と掠れ声の海に溺れる。
僕はもう、このまま息が尽きたって構わなかった。
【歌う睡蓮】
トピック検索 |