匿名 2020-06-06 00:29:46 ID:a79af9ea2 |
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>>22、>>23
孤独でカラッポで、「生きる=虚しさの蓄積」な私は、
「自分にとって、生きる“必要”がない」
「死んでよいのだ」
と悟った瞬間、ものすごい安堵、開放感を感じた。
「つらくても生きていなくてはならない」という「常識しばり」の呪縛から抜け出し始めた瞬間だった。
それは同時に、「自分が生存不適合な生物」という悟りでもあり、ものすごく悲しくて、
安堵感を感じながらも、涙がとまらなくなった。
「死にたい=生きたい」とはこういうことか、と痛感した。
いまは、向こう側へゆくタイミングを待ちながら、執行猶予を過ごす気持ちでいる。
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