+ 2019-11-13 04:26:08 |
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店の中には紺色の絨毯が敷かれ、真っ黒な壁と相まって、庶民には近寄り難い高尚な雰囲気を放っていた。
その長い一直線の通路の突き当たりにケテルは立っていた。見れば見るほどスタイルが良く、嫉妬に似た何かが込み上げてくる。
「来ることを決めたか」
俺とケテルとの距離が数メートルになろうかというところで、唐突にケテルはそう言った。
まるで俺が人生の分岐点ともなろう重大な決断をしたかのような物の言い方に、何故か少し頭に来た。
「悪いかよ」
「いや、貴様がそう決めたのならば私はそれを尊重しよう」
不機嫌な俺の声など気づいていないのか、ケテルはまた口を歪めた。笑ったよりも口を歪めたの方がすごく正しいと思えるくらい歪な笑い方だった。もしかしてこいつ、笑うのが下手なんじゃないのか。
「来い」
ケテルは短くそう告げるとまた歩き出した。俺よりも遥かに長い足のリーチは広く、若干早足にならないと直ぐに距離が離れてしまう。
この横暴な男に世界一似合わない"気遣い"なんてものは望めないがために、それなりに離れないように歩くしかない。
入口から左へと曲がり、非常階段と思われる階段を駆け上がった。更に通路を奥へと進んでいくと、左手側のガラス越しに華々しいステージが目に入る。
俺が今いる場所はステージらしき広場の二階席の更に上、三階のガラス窓の所だった。
「すげぇ……」
きらきらとしたステージの上で、数人の男が歌って踊っている。衣装の豪華さも相まって、更に男達の輝きが増しているようにも思えた。
「ステージに魅入られたか」
ケテルは俺よりも先で立ち止まり、長い髪を払い除けた。
「ステージ……?」
「そうだ。ここは社会に適応できなくなったはずれ者達の劇場なのだ。彼らが演じるものは、人生」
「人生……」
歌が終わると男たちは一斉にステージから居なくなった。一人の男がスポットライトに照らされ、静かに独白を始める。
男は酷く後悔していた。言葉は聞こえなくても、仕草だけで後悔が伝わってきた。のめり込むようにガラスを見つめる。それだけ引き込まれる何かが、あの男にはあった。
「今はケセドだろう」
「ケセド……ってのも、人の名前か?」
「そうだ。ここにいれば、いずれ貴様も会うことになるだろう」
「何で、あんなに後悔してるんだ?」
ケテルは俺の問いかけに答えず、また鼻で笑った。さっきから不快な気分にしかさせられてないそれは、今度は挑戦状のようにも思えた。
俺の中でひとつの答えが見つかる。自信のないままにぽつり、と口にしてみる。
「答えが欲しければ、己で見つけよ?」
ケテルは目を見開いた。
どうやら正解だったらしい。
「ここの劇団員……でいいのか? それは、どうやってなればいい?」
「着いて来い」
変わらず足の早いケテルに必死に着いていきながら、俺の中ではじわりじわりと無から感情が生まれてくる。
あそこに行けば、あのステージに立てば。
俺は忘れた何かを取り戻せるんじゃないか。そんな切望に似た感情だった。
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