葉月 2019-10-09 14:53:15 ID:7fa26c047 |
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ヨシノさんへの
お返事です。
はじめまして。ヨシノさん。
私は、秋里雪美と申します。
あなたが下さったお手紙を、何回も、読み返して全体の意味を把握しました。
文字に起こす段階です。
ここには、私の事情をご存知の方、何人かのみいらっしゃいますが。あなたは、初めての外からのお客様です。歓迎致します。
お返事が遅くなりまして、申し訳ございません。
私について説明したいことがあります。
大変長くなりますが、大事な説明なので、読んでくださると嬉しいです。
私は、おそらく、生まれつき軽度の障碍児です。
家は貧乏だったので、お金のかかるところへ行かずに育ちました。私も家族も、特別な病院にかかることなど出来ませんでした。生きてさえいれば別によかったので、病院は怪我をした時期に通うだけの場所でした。
私の1番古い記憶は、4歳半か5歳頃のものです。小さな頃から、自分が周りの人と比べるまでもなく‘当たり前に出来るはずのことが同じように出来ていない’と少しずつ、自覚していくこととなります。ある時期は、人様にひどい言葉を平気で吐き、ある程度の年齢になるとそんな自分自身を強く責めるように。私の周りには家族や友人がいましたが、障碍も病気も何もないように振る舞い、ひたすら隠しました。悲しいことに、それに気づく人も、止める人もいませんでした。一緒に病院へ付いて行ってくれるはずの親に相談するという当たり前の事も思い付かないまま、やがて高校生になりました。2年ほど問題ありの学校生活を送り。やがて、気付かぬうちに脳や体に中程度の不調が出るのが普通に思えてきた頃。母の強いすすめで受診した病院にて。発達障害、うつ病と診断されました。
死なない程度に精神は枯れて、すでに何度か限界を迎えた痕跡があると医師に言われ。そういえば色々あったと。私は元々、そこそこのバカです。ほかと違ったのは自覚してバカだと自負し、無意識レベルで芝居をしていた事くらいでしょう。若さ故に病んでも回復が追い付くほうが早く。まだ大丈夫だと軽く見て、うつ病の発見が遅れました。
発達障害について。
当時は気になるけれど、知るのが怖くなり。
結局、詳しく調べることが出来ないまま、淡々と生活を送ることになりました。
(省略)
その後は途中で何度も無茶をしたので、
現在は自宅療養期間中です。
変わらず続く習慣は、メモを取ることです。
普段は生活と通院が中心。家事と買い物。生きるのに重要な書類と手続き。そのほかは運動や読書などをします。特に変わった事はしていないかと。娯楽に割く時間は存在しますが、その日の自身の裁量によって遊ぶ時間が決まるので、心の底から楽しいと思うものは少ないです。
この歳を迎えても、社会に馴染むことが出来ないまま、軽度のうつや不眠で済ませるには不自然と思われそうなほどの長い闘病生活を送っています。実際、無理をする度に病状が深刻なほうへ傾くので、基本的には無理がききません。
(年齢が分からなければ薫さんたちに聞いたりなど、静かに確認して下さい。驚くと思います)
ある程度はご存知なのかもしれませんが、
こういう説明を何度か、ヨシノさんが
私に求めていらっしゃるご様子でしたので、
下手でもよろしければどうぞ。
これが私に説明出来る範囲です。
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