匿名さん 2019-06-10 15:59:22 |
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【天の川を渡って】
今年もあえなかったね。
(半笑いの口の隙間から飛び出した上擦った声が、身体を打ち付ける雨音に吸い込まれていく。自分の声があまりにも気色が悪かったため、二度と声が漏れないように唇を堅く噛み締め隙間を埋める。自分から発される音が不安定なのは、もう長らく誰かと会話という発声をしていないからか、はたまた非情にも体温を奪い続ける雨のせいか。増水により荒々しく波打つ川面をまっすぐ見据える。彼女は今年も現れない。出会いは何年も前の今日、水面に反射してきらきらと光る屈託のない笑顔に目を奪われた。織姫だと思った。その日から彼女へ人生の全てを捧げた。彼女のことを知り尽くし、同じ時間に同じ場所へ行き、共に人生を歩む。彼女の一部になれた、と思っていたのに。彼女と全く同じ姿形をして、下劣な男に醜い笑みを浮かべる女が現れた。彼女を汚すな。汚すな。汚すな。男女に手をかけるまで一瞬のことだった。それから彼女を目にすることはなかった。気が付けば、大量の水分を含んだ地面に足が沈み込んでおり、慌てて体勢を持ちなおそうと重い片足に力を込める――どぶん、水平感覚を保てなくなった身体が宙を舞い、浅瀬へと打ち付けられる。七夕の日、織姫を待ち続ける彦星。雨が降ると天の川が増水して会えないというが、その雨は彦星に会えた織姫の涙だという説もある。――そうか、そこにいたんだね。愛しの、愛しの、美しい織姫。起こさせまいとする重力と稲妻のように全身を駆け巡る鈍痛に逆らい、ゆっくりと立ち上がる。今から会いに行くよ。あの煌めく笑顔が移る水面に目掛けて、深瀬へと身体を沈めていった。)
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