匿名さん 2019-06-10 15:59:22 |
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「 思いにふける 」
( 夕陽が小さな運河を染め上げる時間、週末のヴェネツィアは、酔いしれた観光客たちの声に包まれていた。運河沿いのテラス席にひとり座り、柔らかな風を肌に感じながら、彼はすっかり老いてしまった身体を休ませる。口の中に広がるエスプレッソの風味。彼の顔には何処か懐かしそうな表情が浮かんでいた。
ヴェネツィアに来たのは何十年も前だった。あの時は若く未熟で今よりもずっと貧乏だったが、傍らに大切な人がいてくれたおかげでそんな生活も全く苦にならなかった。そんな彼らを迎え入れてくれたのが、この美しい街だった。広場の角で演奏するストリートミュージシャンや、キャラメルのような灯りに囲まれた小さなカフェ、そして美味しい食事の数々。人生で最も幸せな瞬間。あのときは長期間滞在することも贅沢することもできなかったが、その全てが心に深く刻まれている。
あの頃と変わらぬ風景が目の前に広がっている。しかしあの頃とは違い、美しく輝いていた黒髪は白く染まり、頑丈そうだった手は皺だらけになってしまっていた。だが、ここに来ると何かを取り戻すような気がする。あの頃の自分と愛しい人の姿。時の流れで失われたもの。
彼の傍らを、若い恋人たちが乗ったゴンドラが通り過ぎていく。運河に彼らの歓声が響き渡る。ゴンドラの姿が水路の先に消えていくまで、彼は揺れる水面を静かに見つめていた。あの人と過ごした日々とともに )
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