たぬ吉 2018-10-11 11:08:54 |
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おー、返信ありがとー
私は宗教の意義の一つに「自分より大きな存在を感じること」や「神への挑戦」というのがあると思っているよ
合理主義やロジカルシンキングの落とし穴って、封鎖性だと思ってるんだよな
ロジカルシンキングでは、そのロジックを組み立てる材料が十分な量じゃないと、理に適った結論が出せない。しかも、材料不足で不合理な結論が出てる時、当人には自覚できないんだ
お金持ちになりたい、と思っている人が「だから、私はお金を使いません。使ったら減るからです」と言っているとする。
この人の言い分って、出されたロジックだけを見たら完璧なんだよね。どこも矛盾してないし「僕はお金持ちになりたいけれど、ついお金を使ってしまいます。それを改める気もありません。でも、お金持ちになりたいんです」とかいう理論に比べて、なんとまとまりの良いことか
でも、実際には不合理だ。
投資しないとお金は増えない。だけれど「使ったら、減る」というのはすぐに納得してもらえることなのに「投資で増える」というのは長い目で見ないと結果が出ないから、先の人が「投資で増える」ことを信じてくれなかった場合、袋小路なんだよな
「持ってるだけじゃ増えないよ。使わないと駄目だよ」と言っても「使ったら減りますよね?貴方の言っていることはおかしいです」と言われたら、もう面倒くさい。本人はロジカルで合理的な選択をしてるつもり!こういう罠がある……
これに対して、神様みたいなものを信じてくれる人は面倒くさい理屈抜きで推せそうだよね。自分より大きな存在を感じることができる人は謙虚だ
「持ってるだけじゃ増えないよ。使わないと駄目だよ」と言われた時、理論はよく分からなくても、「そうなのか」と受け入れやすい。今の自分では理解できないことでも、そこに法則がある可能性を信じやすい
過程が見えなくても、神様が良いようにして下さる、という信仰の便利な点はそういうところだと思う。
教育の場では便利で、神様が切っ掛けでも一度経験してしまえば「ああこうやって増えるんだな」と分かって、ずっと神様を信じている必要はないような
ぐだぐだで絡みにくい文かもしれないし、返信は自由にお願いします。あってもなくても
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