赤の女王 2017-10-15 11:00:59 |
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>チェシャ猫
(嗚呼、昨日の夜に帰りたい。静かな部屋、オルゴールの音、珈琲の匂い――今の己が求めるものは、"昨日までの普通"ただそれだけだった。そもそも、面倒な通院さえ乗り切ってしまえば真っ直ぐに工房へ戻り、ろくすっぽ食事も摂らずにオルゴール造りに勤しむと言うプランが出来上がっていた筈なのだ。それなのに、何処でどう間違ってこんな事になってしまったのか。鉛の様に重く沈み込む気持ちを抱えたまま、覇気の感じられぬ猫背気味の体を引き摺ってのろのろと彼の後ろを着いて歩く。行き場の無い戸惑いと苛立ちは、ポケットの中に突っ込んだままの手で箱型のオルゴールを頻りに弄ぶと言う仕草となって現れていた。どう考えても理不尽なこの状況、然しながら視線の先を歩く猫の彼はこうも親切に世話を焼いてくれているではないか。礼の一つや二つきちんと言うのが筋と言うもの、そんな当たり前がどうもこの男には通用しないらしい。これからの暮らしのアドバイスをくれるその声にすら、「迷う程出歩く事もねぇだろうよ、」などと吐き捨てる始末で。軈て辿り着いた部屋に足を踏み入れ、彼の言葉にもシンプルな部屋の内装にも特別興味を示す事無く手近な椅子にどさりと腰を下ろせば脚を開き、ずるずると滑り落ちそうな程に脱力しながら天井を仰いだ。「あ゛ぁ……」と絞り出す様な溜息を吐いた所でふっと感じた品の良い紅茶の香りに反応し、流す様な視線が彼の手元へと。見た目に反してやけに世話好きな男だと、口には出さぬ失礼さで思案しつつ肝心の彼とは視線一つ合わせないまま受け取ると「どうも…」と誠意の無い礼を一言。気怠そうに座り直してから、ティーカップに口をつけて。)
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