、 2017-07-27 16:45:54 |
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規則とか何かしらを決めるときにこの人は嫌いだから駄目、とかこの人は好きだから特別に許そうとか、そういうのが目に見えた形で在ると なんだかなあ、って。平等性や公平性がないのなら規則なんて作るべきじゃないし、それを説くべきでもないだろうに。
どんなに仲良くなったって、やっぱり気を遣い合わなきゃ駄目になる。この人にはありのままで居られるなんて幻で、相手がその分我慢したりしてくれているから言えること。
一人で居ることに対して寂しい人だとか言ってくる人なんなんだろう、別に一人で居ることに寂しさを感じたことはないし、結局のところ大勢居ても寂しい人は寂しいだろうよ。一人だから寂しいなんてことないと思うんだけど。少数の方が息苦しくならないし、ストレスもたまらないから好ましい人種だっている。
合わない人間、嫌いな人間ほど案外上手くいくもんだよ、って言われたけど、前者は良いとして後者は難しいんじゃないの、と思ってしまう。嫌いを好きにするのって難しい。
それを否定する気はないし、大勢でいることが楽しいときもあるから理解は示すけど、一人で居る人間に対して、それは可笑しいことだ、って諭すのが理解できない。好きで一人で居る人だってこの世には居るのに、全てを悟ったような顔で本当は寂しいんでしょ、とでも言いたげな態度なのが気にくわない。大勢でいることが苦痛な人だっているのに。
点さんの言うこともわかるけど相手も善意で動いてるってのが難しいよね。
相手の考えだって結局は「常識」とか「普通」とか言う名の「偏見」でしかないわけだからね。
ナツカンみたいにそうやって一線引いて物事を考えられない人間が多いから事態がややこしくなる。
自分の感じてることを相手も感じてると考えてる輩が多すぎる。
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