都々 2016-06-18 21:21:15 |
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( ぼんやりと霞む視界に数回目を瞬かせ、両腕に力を込めて上体を起こす。仮眠を取るためにほんの2時間程横になっていたが、それでも随分と軽くなった身体は自分の想像以上に睡眠を欲していたらしい。深く寝入ってしまわぬようベッドではなくソファーを使ったのは正解だった。部屋の壁に取り付けられたアンティーク調の振り子時計は己の上司が帰ってくる時刻を示そうとしている。ソファーに掛けていたジャケットに腕を通し、身なりを軽く整えれば部屋の照明を落とした。廊下には燭台が一定の距離を保って設置されているが、それらに火は灯っていない。足元を照らすのは窓から差し込む月明かりのみ。──ああ、今日は満月だったか。廊下を進む足は止めないまま空に浮かぶそれを見上げた時、ふと頭を過ったのはいつかの記憶。赤い色に思考が飲み込まれそうになるその寸前、この建物へと近付いてくる馬車を視界に入れると同時にゆっくりと意識は引き戻された。落ち着け、と己に言い聞かせるように浅く息を吐き出し、ロビーへと向かう足を早める。ロビーに繋がる階段を途中まで降りると丁度帰宅した彼らが扉を潜ったところであった。赤い服に包まれた少女とその傍らに立つ青年。少女はシャワーを浴びるついでに汚れた服を着替えるよう青年に述べ、青年は面倒臭そうにしながらも素直にそれに従おうとしている。ここが普通の家であればぶっきらぼうな兄と世話焼きな妹に見えるであろう2人は、けれどそんな温かい関係ではなかった。青年の服や髪にこびりついた赤、彼も彼女もそして己も見慣れてしまったそれが何よりもこの歪な関係性を示していた。こちらに気付いた少女が緩やかに表情を綻ばせる。その笑顔に痛みを訴える心臓とは裏腹に、足先から酷く居心地の良いぬるま湯に引き込まれていく感覚を感じながら彼らへ笑顔を向けた。 )
おかえり。──怪我は、なかったかい?
▼ 痛みだけが確かなここで
猟師と狼と赤い女の子 / 闇に染まりきれない人
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