青葉 2015-07-11 14:50:24 |
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でも、私には緘黙でよかった、と思えることもいくつかあります。
まず一つ目は、私には小学生の時から友達がいなかったので、昼休みは図書室に通い詰めていて、今では本大好きっ子になれたこと。笑
「青い鳥」という、場面緘黙の子が出てくる本にも出会えました。
そして、二つ目は、周りの人の優しさを知れたこと。
どのクラスの時も、ずっと、何人かはいつも黙り込んで一人でいる私のことを心配してか、話しかけて構ってくれる子がいたんです。
それが、ほんとは嬉しくて嬉しくて仕方なかったのに、結局私は何も返せないままで、黙ったままで。
その子達はみんな、そんな私に呆れて、クラスが変わる時には私から離れていってしまいましたが、本当にうれしかった。
今も、いるんです。
同じ部活の子で、一緒のクラスの子がいるのですが、つい先日修学旅行中でのことでした。
その日、私は「○○ってほんと喋んないよね」「昨日お土産何買ったー?って話しかけたんだけどさ、なんにも返ってこなくて」と自分のことを噂されているのを聞いてしまい、どん底の気分のままバスに乗っていました。
思い出すと泣いてしまいそうになるので、必死にそのことを考えないようにしていた時でした。
私の前の席の子が、先ほど書いた同じ部活の子で、不意に、くるっと振り返ったんです。
で、思わずその子と目があった時、その子がニコッと微笑んでくれて、自分がしていたアイマスクだけを前の座席から覗かせるようにして見せてくれました。
そのアイマスクが、修学旅行中に買ったものらしく、「^m^」みたいな顔文字が書いてあるもので、その文字だけが前から飛び出してるのが面白くて。多分、私を笑わせようとしてくれたんだと思います。
その優しさが嬉しくて、ますます泣きそうになってしまいました。
でも、私は学校ではほぼ表情をつくれません。笑いたいのに、笑えないんです。
その子は、修学旅行中他の場面でも自分のカメラを見せてくれて「○○、(私のあだ名)これ誰だかわかる?○○○先生!」と先生の顔がアップからどんどん引きになっていく動画を見せてくれたりしていて、私を笑わせようとしてくれているのが凄く伝わってくるんです。
それなのに、笑えない、何も言葉を返せない自分が悔しくてたまりません。
その子は、言葉を選ばずに言うと、学年でも有名なぐらい成績が悪い子なんです。
それが原因なのかはわかりませんが、小学生の時いじめられていたそうです。
多分、だからこそわかるんだと思うんです。
ひとりぼっちが、どんなに辛いか。どういう気持ちでいるのか。
だから、私に構ってくれるんだと思う。
父は、「偏差値が低い子や学校には価値がない」みたいなことを言います。
でも、そんな考え方は絶対に違うと思う。
別に、それを理由に勉強をサボろうとしている訳ではありません。
ただ、頭の良し悪しだけで人間の価値を決めるなんて、絶対間違ってる。
父が私の将来のことなどを考えて言ってくれているのはわかっていますが、さすがに強引すぎる考えだと思います。
でも、私は緘黙が治って、学校で話せるようになっても、人の悪口だけは言わないようにしたいと思うんです。
聞こえてないだろう、と思っていても、私みたいに耳がよくて聞こえちゃうことだってあるし、たまたま話している前を噂していた子が通ってしまって、耳に入ってしまった、なんてことも普通にあると思うんです。
言葉は凶器にもなると思う。人を簡単にころすことができる。
それと相反して、私は言葉に助けられた経験もなんどもあります。
朝、下駄箱で会った時に「おはよー」と言ってくれたり、プリントを配った時に「ありがとう」と言ってくれたり。
普通の人にとってはなんでもないことかもしれないけど、私みたいなのにとっては、それだけで凄く嬉しいんです。
あ、私、まだ嫌われてないのかな、って思える。
だから、もし私の緘黙が治ったら、言葉はそういう使い方をしたいと思う。
人を傷つけるようなことだけは、何があってもしたくない。
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