風人 2014-11-30 06:00:58 |
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『ケルベロスの肖像』での田口先生側、『輝天炎上』での天馬大吉側からの高原美智への描写や心情は異なる。
田口先生は神経外科の医者としてあるいは医療に従事する者として、天馬くんは一青年や一学生として、海堂尊先生は表現が豊かと思う。
おそらく医学生、研修医、医者としての経験を経てるからそれだけ書けるんだと思う。
学生の頃は命に対して真正面から受け止められても医者としては目の前で命が失われることには割りきることも必要とされる。
命が失われる描写は他作品でも見られる。それに対して医者としてどう向き合うかというテーマもあると思う。
『ジェネラル・ルージュの凱旋』での後半クライマックスの展開は救急搬送される患者が誰もが救える救えないという振るいにかけられる場面は割りきって描写されてる。
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