土佐人 2014-11-24 06:43:24 |
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ギルバート・デュランダルという役のオファーをいただいた時、最初、引き受けていいものかどうか考えました。当時、『機動戦士Ζガンダム』の劇場版という仕事もありましたので、同じガンダム作品ということで「いいのかな」という気持ちがあったんです。
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デュランダルはいわゆる国家元首ではあるわけですが、たとえば現代社会においても、国家のトップと話せる人間は限られています。しかし、デュランダルはアスランやシンのような若者たちの言葉にも積極的に耳を傾けます。そういう彼の存在を通じて、もしかしたら監督は、可能性というのでしょうか、今の若い人たちにも、どうせ国のやることだから、自分たちには関係ないと諦めるのではなく、君たちが参加すれば変えられるかもしれない、話せば聞いてくれる人がいるかもしれない、というメッセージを伝えたかったのではないでしょうか?
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ですからデュランダルの最期についても、僕自身はあれで良かったと思います。男が野心を持ってなにかやろうと思い、結果的には頓挫(とんざ)してしまうわけですが、それを潔く受け入れる。デュランダルはそういう男なんだと思います-----というか、僕は彼をそういう男にしたかったかな。死ぬ間際で「まだ俺はやるぞ」「まだ**ない」と吠えるような男ではなく、ああいう散り方は好きですね。
レイがデュランダルを撃ったことについても、これで良かったと僕は演じていました。最初、タリアに「撃ったのは、きみか?」と訊ねますが、そうじゃないと言われて、レイに撃たれたと知ります。そして、それがわかった時に一言「そうか」とだけ言うんです。その「そうか」は、「そういうことか。でもあいつだったらいい」----という意味合いで僕は演じたつもりです。「なんであいつが!」という意味合いでは演じませんでしたね。彼も覚悟のうえであって、それで撃ったのがレイだったら許せる。そういう終わり方にしたかったのかな。意識はしていませんが、あのシーンには自然にそういう感じで演じられました。
アニメ『機動戦士ガンダムSEED Destiny』小説 第五巻 選ばれた未来 あとがき ギルバート・デュランダル役 声優 池田秀一 より
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