土佐人 2014-11-24 06:43:24 |
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「ばかばかしい、やってられっかよ」
静寂を破り、声を上げたのは渡海だった。一歩身体を引き、紙マスクを乱暴に引きちぎると、床にたたきつける。
渡海は佐伯教授を見つめて、毒づく。
「今さら辞めれば済むと思っているのか?親父は不名誉な形で辞任させられ、世間から白い眼で見られ続けた。それなのにこれで幕引きだ?うんざりだ。こんなくだらないところは、こっちからおさらばだ」
(略)
渡海は笑う。
「何だ、世良ちゃんが俺を叩き潰すんじゃなかったのか?」
世良は、胸がいっぱいになって、言葉に詰まる。言いたいことがたくさんあるのに、口をついて出るのは憎まれ口ばかりで、肝心の言葉が出ない。そしておそらく、世良の言葉が途切れた時、渡海は病院を去っていってしまう。
-----何か言わなければ、何かを。
世良から、決して口にすることはないだろうと思っていた言葉がひとひら、こぼれおちた。
「俺はまだ、渡海先生から教わりたいことがたくさんあるんです」
渡海は世良を見つめた。
「残念だったな、世良ちゃん。チャンスの女神には前髪しかないものさ」
世良がうつむく。渡海は世良の肩を叩く。
「がっかりするな。お前は思い切りよかった。おかげで俺の一部を、お前に残せた」
(略)
世良は渡海を見つめる。
「どうして渡海先生は、今さらこの教室を守ろうとするんです?」
渡海は一瞬遠い眼をした。
「さて、どうしてかな」
それからゆっくり続ける。
「まあ、それでつじつまは合うわけさ。俺は自分のやったことの責任を取るだけ。飯沼さんの手術適応の判断は間違いだった。判断を間違えた外科医は退場するだけだ」
世良の視線の強さは変わらない。渡海は肩をすくめる。
「最後に熱い視線で見送られるなんて、夢にも思わなかったぜ」
渡海は振り向いて、世良を見つめる。そしてひと言。
「世良、立派な外科医になれよ」
その言葉の眩しさに、世良は思わずまばたきをする。
次の瞬間、渡海の姿は世良の視野から失われていた。
海堂尊『ブラックペアン1988』10章 ラストダンス-----十一月 本文 より
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