絢 2013-02-07 04:42:12 |
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うん、正直言おう。
切りたいぃいいい
でも切らない!!!!!
とっても気持ち悪い!!!でも大丈夫!!!
一時のものにすぎない、
…おかしい。なんもないのに、なんも悲しいことなんて特にないのに、
あいっかわらず情緒不安定だ、
でもだいぶ安定してきた。
夏休み、**とあの人に言われた。悲しかった。あの時初めて自殺方法をあさった。
一日中泣いた。死んでやるといったら**と言われた。階段に丈夫そうなひもをつるし輪っかを作った。
首にそれをかけた。あと一歩踏み出せば**たかもしれなかった。でも涙が止まらなくて、やめた。
夏休み半ばからおばあちゃんがはるばる一ヶ月弱ほど家に来ていた。旅行へみんなでいった。とってもたのしかった、、、だけど帰って来てからあの人はすっごく怒り狂った。リビングに入ろうとすれば入ってくるなと怒鳴られた。手伝いをしようとすれば触るなと。なのにあの人は、自分は家族の奴隷にされているといいはなった。おばあちゃんにもあの人は怒鳴り悪魔とまで言った。毎日おばあちゃんはおびえていた。毎日おばあちゃんを私はなだめ、話を聞いたりした。ときにおばあちゃんはあの人のことについて文句を言った。ぐっとこらえて話をきいた。
毎日頭痛とめまいがとまらなかった。
おばあちゃんが帰ったあと、残りの夏休みも英語を勉強した。
頑張ろう!そう言い聞かせた。
夏休みが開けて9月になった。また新しい学年の始まりだ。
やる気に満ちあふれてた。
9月7日がきた。私の誕生日。その前の日からあの人はまた不機嫌だった。私の誕生日がくることによってあの人はまたしても荒れた。
私の学校では自分の誕生日は周りに言うという風潮がある。だけど悲しくて言いたくなかった誰にも。
家に帰るとあの人は怒っていた。でていくそう言われた。悲しすぎてずっと泣いてた。だから部屋から出れなかった。あんなに文句を言ってたけどプレゼントとカードを用意していてくれたらしい。
でも部屋から出れなくてプレゼントを開けることもできなかった。そしたら、要らないのね!っと言われバースデーカードをあの人は破った。プレゼントを捨てようとあの人はした。
怒りまくってあの人はスーツケースに必要なものをつめ出て行くといいはなった。
捨てられそうになった、その時は今度こそ本当に一緒に居られなくなる。捨てられるって本気で思った。
でも居てくれた。ケーキを作ってくれた。
あの時は嬉しいという気持ちは居なくならなくてよかったという感情だった。
正確には嬉しいじゃなくてホッとしただった。
あんなに泣いた誕生日ははじめてだった。
それでも学校は毎日通ったし
その時はまだ精神的に元気だった。
勉強を頑張ろうという意欲もあの人のために頑張ろうという意欲もあった。
あの人が病気なのは知っていた。でも病名までは記憶していなかった。
いろいろな精神病を調べた。あの人の症状からみて統合失調症であると私は確信した。
たくさん調べた。父にこの病名であってるかということを確認したところ、あの人は統合失調症であるということが完全に分かった。毎日調べ続けた、
ある日、友達にあの人が統合失調症であることを打ち明けた。
その時もまだ元気だった。
ハーフタームという休みに入る前、再びあの人は荒れた。大荒れだった。
妹が友達と遊びに行ったことであの人は怒った。嫌がらせだと言ってね。
私は沢山しねって言われた悪魔って言われた消えろって言われた責められた…
あの時のあの人の目が強く印象に残っている。怖かった。
ある日、やる気がなくなり始めた。宿題もまともにやらなくなりはじめた。
意欲がなくなった。不真面目な自分になりはじめた。
友達より出来ないから自信も失い始めた、
やがて無気力になりあまり真面目に勉強しなくなったため分からず、自信もどんどん消えてった。
同時にあの人の病気について調べていて自殺率が高いとか、寿命が平均よりも短いとか、治らないとか、
そんな情報を見てしまったり。
当時落ち込みと無気力と劣等感が私をおそった。
父とあの人の酷い喧嘩を聞いたりは日常茶飯事だった。死にたいと思った。カッターをとって刃を出した。切る勇気なんて全く無かった。怖くて力はいんなくてきれなかった。軽くひっかく程度で傷にもならなかった。
学校では自信も喪失し、あまり積極的に外人の友達と話せなくなった。
ハーフタームがきた。
私はあの人の病気を調べてるうちにACというものを知った。
ショックだった。自分は狂人であるのかと。
ショックで無気力でなにもできなくなった。
一日中なにもせずにぼーっとする。ひたすら考え込みながら。
ついにハーフタームの後半、あの人はなんにもしないで!とか言った。
なにも勉強しなかった自分に嫌気がさした。残りのハーフタームは自分を責め続けて終わるのだった。
鏡に映る自分にむかって睨みつけて**よとか消えろとかくずキモいってなげかけた。嫌気がさしすぎて発狂しそうになった。
ハーフターム最後の日、嫌気のあまり自殺方法をあさりリストカットが一番楽な死に方だと知り(たぶん実際はちがうw)カッターを取り出した。が、やっぱり切るのが怖くてきれなかった。
代わりに手首の皮を爪でえぐった。血が出てきた。快感だった。ざまあみろというように。
夜中、メールが友達からきた。どうやら嬉しいことがあったらしい。
「明日はハッピーなOOちゃんでいてね!」この言葉に号泣した。全然ハッピーじゃなかったがそうふるまった。
ハーフターは終わり。学校生活がまた始まった。
ハーフタームの最終日以来、リストカットをするようになった。最初は1cmにも見たない幅の浅くて小さい傷をつくった。徐々にそれは大きく、深くなった。血を見る事に快感を覚える。
自分に怒りやら絶望やらいろんな感情がこみ上げた。
無気力、でも学校には通い続け、日本人の友だちの前では道化のようなかんじだった。
外人の友だちと話したくても自信なくて、どんどんじぶんが小さくなって、外人の友だちにあなたの英語はgoodよ、そういわれた時、悲しかった。けしてそうは自分では思わなかったから。
無気力で家に帰ってもほとんどぼーっとしてした。宿題があるのに、日付が変わっても動けなかった。睡眠時間も一日あたり2時間〜3時間程だったり、ひどいときは寝ないこともあった。練れないんではなく寝なかった。友だちに「早死にするよ?病気になるよ?」そういわれた。が、どうでもよかった。むしろそうなればいい、こんな自分は**ばいいそう思っていた。
あの人と父の喧嘩はひどい。父も疲れていた。よくあの人の事について愚痴をいったり、わざとあの人に聞こえる様に嫌みを言ったりもした。なぜか父の言葉が自分に刺さるようになってきた。自分がもっっとちゃんとしていれば、余計な事をあの人にいったりやったりしなければ、もっと、、、って
リストカットはどんどんひどくなった。
なにより自分が嫌で嫌で苦しかった。自殺方法を何度も調べたリストカットが一番楽でない方法であることもしった。
リストカットにつて調べていたら、カッターナイフがこわくなった。リストカッターなのに。
想像してしまったからだろうに。ひどすぎて書き込めない.....
こわくてこわくてたまらなくなった。
そんなとき運わるく授業で突如先生が大きなカッターナイフをてにとったとき。パニックになった。あの嫌な映像が頭から離れなくなって、辛かった。もう泣きそうだった。
先生がカッターで紙を切った、最悪だった。
だが、リストカットを繰り返すうちまったくこわくなくなった。
ずうっと、無気力。数学の宿題はチェックが入らないためやらなくなってしまった。
授業内容など理解していなかった。テストで悪い点をとった。日本人の中でただ一人私だけが、
数学の先生に一つクラスを落とすことを薦められてしまった。もうそのときは最悪な気持ちでいっぱいだった。日本人はみんな数学ができるのに、、、情けなかった。先生に、今やってる内容は理解出来るから居させてくれ!そう頼み込んだ。次のテストで結果が悪かった場合恐らく、一つ下のクラスに入る事になってしまう。そうとなれば、本当に自分に絶望してしまうかもしれないし、本当の本当に自分が大嫌いになってしまうかもしれない、こんどこそ気が狂って自分を殺してしまうかもしれない、そう思った。
どうしても分からない内容があった。日本人の友だちに何回も何回も聞いてもなかなか解けない。何問もやった。解けなかった問題が解けた。一瞬自分が救われた。嫌気がさしていた自分が一瞬救われて、泣きそうになった。いよいよテストの日寝ずに復習した。
結果はすごく良いわけでもないが悪い結果ではなかった。とてもほっとした。
それでも私の無気力と自分にたいする嫌気と自信喪失は止まらなかった。
腕中が傷まみれになった。一日に何回も何十本も切った、傷ができた。
いよいよ大きいてすとの時期がきた。しにたいという気持ちがどんどん増していった。
冬休みに入ったら死のうとしていた。
大きいテストが始まった。テストを受け家に帰った後、復習ではなくリスカをしたりぼーっとしていた。
最終日テストが終わった。
友だちにばいばいと言う時、これが最後になるのかなぁっておもった。
なぜ数学でほっとして少し救われたのに、そういう気持ちが止まらなかったのか。
それは、たったひとつ自分が許せる理由を失ったから。
あの人に何を言われても、辛くても平気な振りができた。冷静に対応が出来ていた。これが救いだった。
だが、イライラしたりすごくきがふせたり、ひどい事いったり、冷静な対応が出来なくなってしまった。
もうそんな後にはリストカットのパラダイス。
冬休みになった。初日から宿泊にでかけた。
あいかわらず、父とあの人は喧嘩して不機嫌。父の言葉が自分に向けての物じゃないけど、刺さった。
カッターなんて持参してなかったが、切りたいという気持ちは抑えられなかった。そこにあったプラスチックのスプーンを割ってとんがった割れ目で切った。やはり切れ味はわるかった。
数日後、あの人の誕生日だった。プレゼントをあげた。それからバースデーカードにごめんね、ありがとう、大好き、、、って思う事全部書いた。泣きながら。
で、そのカードを渡した物の思いは伝わらず、まず言われた事が「日本語がおかしい」だったorz
でもほんとに少しずつ、家事を手伝ったりすることによって私の死にたい、殺したい、無気力、自信喪失、は減った。
なななんと、あの人の誕生日の翌日。リストカットで出来た傷があの人に見られてしまった。
パニクったあまり、はじめてインターネットの掲示板とやらに書き込んだ。
年が明けた。去年のまま、去年の事をひきずっていたらまえに進めないと確信した。年が明けるのを機会に去年の事は仕方なかったんだと思い込むようにした。ずっとだめだったといって責めて反省しているだけではだめだと。割り切って今年は頑張ろう!そういう意志で。
それがよかったらしくだんだん回復してた。リストカットの回数も減った。気持ちも去年よりかは楽になった。
ある日の事、私は去年あの人に完全にリスカがばれていると思い込んでいたからうかつな事をしてしまった。左腕はやばーーいとか、、、、ばかですねwwww
するとあの人は左腕がなんなの?そう私に聞いた。その瞬間あの人は去年私のリストカットを完全にリストカットとかくしんしてなかったということを悟った。(たぶん私が特殊メイク風とかいって傷をリアルに描いていたことが前にあったからwww)
ちょうど、運悪くリスカした翌日だったから、赤い傷が残ってて、完全にリストカットだとばれた。
パニックで家中をうろちょろして、宿題にも取りかかれず、数時間ずうっとパニックだった。
翌朝、あの人が先ず最初に口にした事、、、、「リストカッター、気持ち悪い」。正直ショックだったw
でも今はあんまり切ってない。2週間に一回くらいとても浅いきず。
情緒不安定で無気力になったり、狂ったようにハイテンションになったり、不安になったり、差が激しい。
でもだいぶ収まって来た。消えたいとか消したいとか去年は一日中おもっていたのが最近は全然だ。
外人の友だちに積極的に話しかけられる様になった。前より笑えるようになった。前より意欲的になった。
まだまだこんな状態になる前の自分からはほど遠い、健全からはほど遠いけど少しずつ回復してるよ。
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