しゃべりば 2012-01-24 07:58:06 |
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少なくとも、我々求道者なる者共は、自分の未熟さ、至らなさ、恥を悟っている。
この気持ちがあるからこそ、学問に熱中する。
それは、「自分はまだまだ」の現実を痛切に悟っているからだ。
我が師が言う
「60を過ぎて、また気づかされた。自分は色々知っていると思っていたが、まだまだだ。『自分』ほどわからないものはない」
本物は死ぬまで終わりはない。
女優を愛したのは、「女優だから」は断片に過ぎない。
「女優」とは、ただ単に武勲や履歴の様なものではない。
そこには、その人間の「人間らしさ」がこもっている。
清純派女優、剛力あやめ
プライド女優、藤原紀香
不良女優、沢尻エリカ
「女優」、ここに一つの人間の個性が出る。
もし「女優だから」が理由なら沢尻エリカでも良かった訳だ。
しかし、そうではない筈だ。その人独特の女優性を、そのバイタリティーを、その雰囲気に魅了された、のが彼の心ではないでしょうか?
>しゃべりば
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