しゃべりば 2012-01-24 07:58:06 |
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以下は、No.800 by しゃべりばです 2013-04-01 14:43:54 についてのコメントです。
投稿者さんの考える「真実の愛」の新しい側面が見えてきたので、それについての
意見をこの場をお借りして述べさせていただきます。
最初に指摘したいのは、山田花子さんや出川哲郎さんがまるで哀れむべき弱者で
あるかのような書き方をされていますが、それは妥当ではない、ということです。
彼らは生き馬の目を抜くような芸能界を生き抜いてきた強い人間に他なりません。
上から目線の同情心や哀れみのような「真実の愛」は彼らには不要です。
今まで一流のエンターテイナーとして活動してきた実績がその証拠となります。
ただ、上記の指摘は投稿者さんの文脈からはそれほど重視されるものではありません。
「もし本当に『真の愛』というものが存在するならば、社会的に低い方と結ばれた方が
世の中をより暖かいものにできるのではないでしょうか。」
この文章が投稿者さんの「真実の愛」を貫く中心的なアイディアだと思われます。
このアイディアは、私が思うに次の二点の構図からその問題点が明るみに出ます。
まず、一点目です。
「より社会的に低いほうを愛する」という基準自体が、外面的な判断に基づいた
ものでしかなく、反転図形のような様相を呈しているように見えます。
A「木村拓也に似ているから、彼と付き合ったの。」
B「出川哲郎に似ているから、彼と付き合ったの。」
所得の高低や器量の善し悪し、社会的地位といった要素はどう考えても外面的です。
結局のところ、外見的な要素で判断するという評価軸からは逃れられていないのです。
また、「出川哲郎さん似の彼」がとても優しい真面目な青年であり、そのために
ある女性が「出川哲郎さん似の彼」とお付き合いしている場合を考えてみてください。
そのとき、その女性は見た目ではなく、(自分にとって別の有利な点)をその青年に見出し、
お付き合いしていると考えるのが自然です。
(浮気はしないかもしれない、金銭感覚が私と合っている、きちんと働いてくれそう……etc)
生活破綻者同士が結婚して、真実の愛に到達することはひょっとしたらあるかもしれませんが、
生活破綻者でないと真の愛に到達できない、とするのは飛躍があるように思えるのです。
次に、二点目です。
「より社会的に低いほうを愛する」という主張の背後には「強者が弱者を助けるべき」という
父権的な構図が控えているように感じます。
弱者への庇護はふとした拍子で弱者への支配に切り替わる恐れがあります。
もちろん、誰しも一人ではやっていけない以上、たとえば強者である企業に雇用されるといった
形を通して、様々な係わり合いを種々の集団と保たなければなりません。
しかし、そこで必要になるのは愛といった強者からの一方的な温情ではなくて、
私人として対等に付き合うための、労働法のようなクールな取り決めです。
投稿者さんの「真実の愛」には、お互いが対等な関係を築く余地がないように思えて
仕方がないのです。
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