ふーちゃん 2023-01-13 22:37:55 |
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日本の、現代の社会で、心を開いて話のできる
機会など、むしろ、よき同僚や先輩にめぐまれた人が、
たとえば、少し、飲みながら、話のほうに、比重がかかってる
ような時?
家族で、本音の話ができる時間など、どのくらい一生の
間に、あるでしょう。と、いうところ、かぎだと思います。
親業を、つとめた人であるなら、現代の一般的現実である、親子間の
人間関係の冷たさを、感じる人は、きっと、多いと思う。
うちの近所のある家では、年取った母親を、なにかにつけ、
ずいぶん、あらっぽい口で、まるで、粗相をしたわが子をしかりあげるときと
同じ調子で、あつかうむすめ(といっても、家庭もち)が、います。
介護施設の人だって、こんならんぼうなことは、ないはずと、いちおう
思いたいと思います。(どうかな?)
こんなもんかなと、ぼくは、ざんねんですけどね。
人間は、一本、タガが、外れると、どんな人としてはずかしい
行いにも、平気になってゆくんですよね。
わが子への虐待も、おなじところです。自分のありかたを、
制御する能力を、なくしているのです。自信喪失ともいえるし。
そこから、立ち上がるだけの気力も、出てこない人びとがいるようです。
ぼく自身が、どんな人間かは、自分でもみえてないとこは、
あるでしょう。ただ、匿さんのことばのとおり、
そのひとに、よりそうということが、どんなことをゆうのかが
わかり、実行するひとでなければ、けして、高齢の人の
何でもないような、ささやかな思い、ほんとの心が、わかることは、
ありませんよね。
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