匿名さん 2022-08-21 15:03:38 |
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(柔らかな栗色の髪を赤いリボンで二つに結った七、八歳程の少女が、膨れっ面で此方を指差している。最初に見たのはそんな情景だった。窓の外は今にも雨の降り出しそうな重い曇天で、古ぼけた孤児院はいつにも増して薄暗い。少女は小さな足を踏み鳴らし、一層の激しさで叫ぶ。〝ミシェルばっかりずるい!〟。黙ったままでいると、彼女は先程と全く同じ声音で全く同じ言葉を繰り返す。〝ミシェルばっかりずるい!〟。そうして何度も何度もオルゴールのように少女の声が反復再生される中、突如背景に黒が映り込み、燃え広がる炎の如くじわじわと少女と自分以外の全てを呑み込んでゆく。やがて真っ暗な闇の中に二人だけがぽっかりと浮かび上がる状況になっても、少女は叫び続けていた。しかし一切変化しない声とは裏腹に彼女の形貌は徐々に移ろい、髪と肌は艶を失い、体は痛ましい程に痩せ、瞳からは光が消え失せる。更に服は擦り切れて汚れ、各所に打撲の痕が覗き、両足には足枷。気付けば目の前の少女の他にも見知った孤児達が同様の風体で周囲に現れていて、無数の怨嗟の目が此方に向けられている。彼らは此方を指差し、口々に責め立てた。〝ミシェルばっかりずるい!〟〝ミシェルばっかりずるい!〟〝ミシェルばっかりずるい!〟――心の安寧の在処を問われた時、最初に脳裏に浮かびながらも人生の大半を過ごした孤児院を遂に挙げなかったのは、そんな夢を見た直後だったせいだろうか。主人の応答に返す言葉もなく促されるまま向かいの席に腰を下ろした後、命令無視と取られぬよう答が明確になるより先に魔法陣に触れた指先は案の定何の変化も齎すことはなく。無駄を厭う彼のこと、唐突に思われる問いにも何らかの意図があることは理解しつつも、己の心中から適当な答を探し当てるのは依然濃い霧の中を進むようで。途方に暮れそうになりながらもこのダイニングに留まりたい一心で思索を巡らせていれば、ふと頭の中に見慣れた景色が瞬き。齢十四にして受けた仕打ちと悪夢によって暗晦の色を塗り重ねられてしまった在りし日の思い出は意識の外へ、軽く伏せた瞳の中にキャンドルの灯火を二つ揺らめかせたなら、その効果が精神的作用によるものか身体的作用によるものか区別することなく呟いて)
……朝の森……。
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