匿名さん 2022-08-21 15:03:38 |
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(壁を隔てた向こう側では何が行われているのか、到底調理とは結び付かぬ音の連続に遥か遠くの星まで逃避していた意識も大樹の根元へと連れ戻され。食事の用意が進行している可能性は経験則に基づき碌に検討もされぬまま除外され、思い出されるのは去り際に寄越された視線と不穏な一言。奴隷とはいえ一応は病人相手に飲み込んだ鬱憤を破壊行動に代えて晴らす主人の様が目に浮かぶと、背中に冷たいものを感じ、ますます宵の明星から目を逸らせずにいて。しかし、扉が開かれると同時に耳に飛び込む苛立たしげな声によりその原因が自身にないことを知れば、幾許かの安堵を滲ませながら振り返る。トレイに載せられたフレンチトーストは漏れ聞こえていた音からは想像もつかぬ程纏まりが良く、提示された二つのうち机の方を選んで着席すると、目前にしたそれの造形がよく窺え。入室時の文句に反してレシピ本の絵柄に手を突っ込んで取り出したかのような完璧に手本通りの出来栄えに、そこに書かれた調理手順より手の込んだ魔術が実際に使用されたなどとは露知らず、一体どんな魔術を、と純朴な尊敬の念を抱いた後。心中だけで食前の祈りの言葉を唱えてはカトラリーに手を伸ばし、芸術品のようにすら見える黄金色のパンに丁重にナイフを差し入れ。そうして一口大に切り分けた甘い香りを口に運んだところで、思わず瞠目すると傍らの主人へと顔を向ける。ここ数日ですっかり食べ慣れてしまった品と同等の材料、同様の手順で作られたとは思えぬ上質な味わいに、狐につままれたような面様でぽつりと感想を零して)
――おいしい、です。
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