匿名さん 2022-08-21 15:03:38 |
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(身体のみをその場に残し、意識は仕事場へと向かう中、それを制止する声が耳に届けば大きく一度瞬く。光の加減で主人の顔は影に黒く塗り潰され、唯一はっきりと窺えるのは冷淡さを湛える眼光だけ。ぐっと明度の落ちた陽光の所為か足元から伸びる彼の影すら物恐ろしげに映れば、自ずと背筋が伸び。仄暗い室内と平行に交わった視線はオークション会場での出会いの一幕を彷彿とさせ、有無を言わさぬ迫力で告げられた命に当時と同じく無言のまま頷きを返す。しかしその慎重な首肯は、諦念と失意故に唯唯諾諾と従っていた数週間前とは微かなれど確実に一線を画して。胸の内に一欠片混じった感情は、敢えて名称を賦するなら〝恐れ〟と呼ぶべきだろうか。仕えるうちに芽生えた忠誠心か、生活空間を共にした親愛の情か、人間らしい扱いを受けられる居心地の良い場所への執着か。生じた経緯こそ定かではないが、彼に失望され見放されることへの憂惧が朝露の一滴程差され、善し悪しはともかくとして言行に影響を与えたことは確かで。とはいえ主人の命に叛くわけにもいかず、加えて〝叛意〟の言葉を持ち出されたのなら尚更。指示通り素直に来た道を引き返そうと右足を下げかけた――瞬間、小動物の唸り声のような音が静まり返った廊下で鳴り。どうやらその音が自身の胃の辺りから発せられているらしいということに気付き、その事実を受け入れるまでに数秒を要しては、暫し下げかけた足はおろか瞬きすら彫像の如く止めてしまって)
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