鬼娘 2021-09-05 10:06:47 |
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(旦那様から求められている。ファーストキスを。九段夏樹その人に自分の全てを捧げると決めたあの日から、いつかはこうなる時がくると分かっていたはずなのに。いざとなると、緊張やら何やらで全身の隅々まで熱を帯びていき、まるで自分の体では無くなってしまったみたいだった。伏せた瞼に力を込め、胸の前でぎゅうっと両手を組み身構える。
しかし、ガタガタッ!と椅子の動く音が聞こえてきただけで一向に塞がれる気配のない唇。何かがおかしいと異変に気が付いてゆっくり瞼を開けてみると、何故か椅子の背凭れに仰け反り気味になって、みやびと距離を取ろうとしている旦那様の姿がそこにあった。どうやら「こいつ、俺のだから。」作戦は未遂に終わったらしい。)
……なんじゃ、そんなことか。
(そもそもの話を聞くと、旦那様は別に「こい俺。」がしたかったわけではなく、いつの間にか机がくっ付いていることについて指摘したかっただけだったようだ。予想外の申し出に拍子抜けしたからか、少しずつ体のこわばりが解けていくのを感じる。
……ただ。旦那様の言うこと全てに従うかと言ったら、そうではない。みやびは欲深い鬼。基本的には従順な妻にだって、譲れる部分と譲れない部分は確かにある。そこでチラッと考える素振りを見せたあと、[交換条件]を持ち出すことにした。先程とはうって変わって強気な態度で、静かに口を開く。)
離してもええけど、条件があります。
……今後は苗字じゃのうて、下の名で。“みやび”と、呼んで欲しいです。
(──昔みたいに。
そう心の中で呟いたとき、カーテンがなめらかに揺れて、窓から流れ込んできた風が濃紺の髪をさらりと撫でた。それと同時に自席からそろりと身を乗り出し、旦那様の懐に飛び込むような形でぐっと詰め寄る。
思えば再会した時から妙に他人行儀過ぎるのが気になっていた。いくらみやびが美しく成長していて以前のように話すのが気恥ずかしいからといって、許嫁という関係で苗字呼びは違和感しかない。少しでも旦那様との距離を詰めたい、との思いから持ち掛けた交換条件。
これを飲まないなら申し出を受け入れるつもりはないと、はっきりとした強い意志が滲み出ている金色の瞳で瓶底眼鏡の奥を見据え、訴えて)
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