匿名書生 2018-01-24 19:13:27 |
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(ふと、春の匂いがした。西伯利亞程とは言えまいが寒風吹き荒ぶ如月の只中、梅の香りとは珍しい。けれども己が閉口したのは噎せ返る紅梅の甘やかさではない、その奥から現れた男の若々しさに沈黙させられたのだ。よもや他の書生ではあるまいか。理性がチクリと囁いた懸念は柔らかな声色が名乗る名によってすぐさまなりを潜めたものの、結局は脱帽し頭を下げるばかりが精一杯。瑞々しい髪の艶を見下ろしながら、阿保のように青藍の背中へついて歩き、舶来品でも何でもない慣れ親しんだ茶の色を見てようやく我に返ったくらいで)
––は……えぇ、はい、あんな狂人の戯言のような手紙、燃やすか、警察に突き出されても致し方ないと思っていたのですが……まさか先生に好いていただけるとは、恐縮です。
(紙を介さず向かい合い、滔々と語られる言葉を聞けば病んだ胸も高鳴り熱病ではない熱を宿す。それでも目だけはじっとまだ皺も無い顔を見ていた。その顔は生を憂い死を愛でる者の面差しにしてはあまりに清らかで、たとえ今ここで死に誘えども到底頷いてはくれまい。と、突拍子もなく湧いて出たやましさを見透かすかの如く問うてきた彼に、己でも驚くほどに狼狽し、取り繕う返事さえ淀ませて)
……こんな言葉、先生はお笑いになるかもしれませんし、お嫌いかもしれませんが、
(気づけば握り締めていたガーゼを、袖の奥深くに押し込めていた。しかし生来嘘を吐くのが下手糞な性質である。架空の物語をでっち上げられるはずもなく、かといって洗いざらい話して追い出されるのも恐ろしい。逡巡の末に腹を括っては背筋を伸ばし、咳の熱さが残る掌を膝の上で固く握って)
私は、先生と巡り会う運命だったのでしょう。本を読もうと手を伸ばした訳でもなければ誰に勧められた訳でもありません。出会うべくして出会い、惹かれるべくして惹かれたのです。私の生の総てはきっと、先生との巡り合わせの為だけに存在している。……そう、確信してあの手紙をしたためました。
(嘘は、ひとかけらも混じっていない。輝かしく健全なる若者のまま生きていれば、彼とは出会えなかった。自分は彼と会う為に不幸せになったのだと、ふんわりとした浪漫の言葉に似合わぬ強い確信を持って、涼やかな流し目がたとえ軽蔑の眼差しでもこちらを向くようにと瞬きもせず見つめて答え)
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