匿名 2017-10-13 19:59:28 |
通報 |
>10
私もあなたに、私の考えに同調しろ、と押し付ける気はありません。しかし、私の思う矛盾や不備は突かせてもらいます。
なぜなら、あなたの理想を、現実的な検証もせず、軽はずみに信じて、ずたずたになる人が現れては気の毒だからです。きれいごとを現実にするには、ジョークにならない犠牲が必要なのです。
>私は今まで『自身の友や大切な存在、愛しき人は、自己犠牲を伴っても守るべき。守りきれずとも、努力を止めてはならない。それが不可能な可能性があるなら、はなから友として、大切な存在、愛しき人として認識すべきではない』と考えて生きてきました。
結構なお考えですが、極論をお返ししますね。人間が、献身を持って、一度に大切にできる相手は、一人だけです。
例えばの話し。メンヘラな友だちを救うつもりで捨て身で、その子に関わるとしましょう。そしたら、その人は、その人のことを大切に思ってくれている他の皆を諦めなければいけなくなる可能性もあるんです。他の友だちと遊んでいる最中にも、メンヘラの子からひっきりなしに電話がくる、メンヘラな子の前で他の友だちの話しをしたら、それだけ露骨に嫉妬され、自傷行為に走られる、そういうことが有り得ます。
振り回されるその人の姿を見て、その人を大切に思う他の皆も傷つく。家族も心を痛める。
それが節操のない献身の現実です。
そして、自分を大切にできない人間には、他人を大切にすることもできません。
つまり、そこまで犠牲を払っても、その犠牲が「自分を大切にしていない、無闇で制限のない形」なら、メンヘラの子も救えない可能性のほうが高いんですよ。メンヘラの子に良心があれば「周りを振り回した」という点で、また傷を負わせてしまうんです。それでも、メンヘラの子はやっと見つけた縋れる相手を手放したくなくて、罪悪感に駆られながらも束縛を続けてしまったりします。どんどん傷つけるんです。
節操なし行動の行き着く先には、大体破滅が待っています。関わる人間皆が傷つきます。
人付き合いは、節度を弁えること。それが「皆を大切にする」秘訣では。
絶対の献身は、必ずしも必要ではない。それは運命の相手に取っておくもの。
また「絶対の献身を捧げられない相手なら、友だちとは言えない」なら、メンヘラの子は、一人の友だちも持てない可能性が出ます。
悪い点は、見ないふりして付き合ってあげる、それも友だちに対する一つの優しさだと思います。
トピック検索 |