自己満小説書きます

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ものぐさ物書き  2017-08-17 15:58:19 ID:01bed38fc
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練習用にゆっくりペースで書いていきます。

閲覧はご自由ですが、あくまで自己責任、自己完結でお願いします。
ご意見や感想など随意に書き込んでくださって構いませんが、すべてにお応えできないかもしれません。ご了承ください。



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  • No.15 by ものぐさ物書き  2017-09-07 05:47:45 ID:01bed38fc



最前から、一人の娘が軒先に佇んでいる。

どんよりと暗い雲のたれこめた、誰にとっても気勢の上がらない日である。雨は降りそうで降らない。

口入屋のあるじ源兵衛は、去年六十の坂を越えた。
以来、こんな天気のときにはきまって、持病の腰痛がひどくなる。
商いもおっくうな気になって、今朝は四ツの鐘を聞いてからやっと表戸を開けた。

娘は、それからほどなくしてやって来たものらしい。
源兵衛が帳づけからふと目を上げると、小さな背中がそこにあったのだ。

客ではなさそうだった。
色あせためいせんの着物の肩と、腰のあたりの線が貧弱だった。
髪はきちんと結ってあるが、飾り物一つない。
草履はすっかり履きつぶして、裸足の踵が地面につきそうなほどである。



娘は車坂のほうを見ていた。

源兵衛が、車坂を上がったこの町で商いを始めてから、かれこれ十五年がすぎた。
あいだに公方さまが一度代わり、大火が一度あり、流行り病で連れあいをなくした。

それ以外には、これといって変わったことのないまま過ごしてきた。
源兵衛一人暮らしていける程度の上がりがあれば充分の、小さな商いを続けている。

昼近く、源兵衛が飯にしようとする頃にも、娘はまだ同じ所にいた。
同じように、車坂のほうを見ていた。

細い肩はぴくりとも動かない。

午後になって、仲町の薬種問屋の番頭がやってきた。
出替わりで中働きの女中を嫁にやるので、かわりを探しているという。先の女中も源兵衛が世話をしたのだが、いいところに縁づいていたのだそうだ。

「表にいるのはどなたですか?」
いつも白い手に薬の匂いをさせている番頭は、表のほうに顎をしゃくった。
「さあ……私は存じませんが」
源兵衛は答え、帳簿を操った。
「お客じゃないのなら、あんなところに立たれていては迷惑でしょう。追っ払ったらどうです」
「別に悪さをするわけではないし、かまわないですよ。娘さんだから、怖がって入ってこられない客もいますまい」
「娘といっても、ちっととうがたっている様子だったが。まあ、器量は悪くなかったな」
番頭はにやりとした。

その日だけでは用が足りないので、番頭は後日を約束して帰っていった。
帰りぎわに、源兵衛は言った。
「あの娘さんに声をかけないで下さいよ。ひょっとするとこっちを向いて、お客になる人かもしれませんからな」

番頭がいなくなると、源兵衛はまた、店先で娘と二人きりになった。
娘は同じ姿勢で同じ方に目をやったままだった。
一度だけ、額のほつれ毛を撫でつけたとき、横顔が見えた。
艶のない頬に、唇には色がない。その唇は、これっきりもう誰とも一言も話すまいと決めたかのように、きっちりと堅く結ばれていた。

待ち人来たらず…か―――――。



車坂を上がってくる人の行き来が多くなった。
そのうち何人かは、立ちん坊の娘に、めずらしげな視線を投げていく。
娘はその誰とも目を合わせない。

客は来ない。源兵衛は居眠りをした。
車坂を登り降りする人々の足音が、ちょうどいい子守歌になる。
元気よく登ってくる者もいれば、ふうふうと辛そうな者もいる。

四年前、源兵衛の店の向かいに、町医者が越して来た。
四十がらみの小男で、二人の子供の手を引き、臨月の女房を連れていた。
ほどなく、その医者は「名医」と呼ばれるようになった。
源兵衛は思う。
腕前がそれほど図抜けているわけではなかろう。商売がうまいのだ。
あの医者は、とにかく自力で車坂を上がってこられる病人しか診てやらない。そのくらいの病人なら、とくに医師がめざましい処置をしなくとも、そのうちに本復するものだ。
坂道がそれを見分けてくれる。

半刻ほどうつらうつらして目を覚ました。
娘はまだ立ち続けていた。
源兵衛はあくびをし、顔を洗いに立った。

七ツを過ぎて、強い雨が降り出した。
源兵衛は帳簿の上に手をおいて、降る雨足をながめた。
急な雨に、医者から帰る患者たちが、軒下から空模様をのぞいているのが見えた。
狭い店のなかに、雨の匂いがたちこめた。

娘は動かない。
軒先から娘の肩に、雨のしずくが落ちる。
薄い着物はすぐにびっしょりと濡れ、娘の肩に張りついた。やせた身体の線がいっそうはっきりと見える。
しばらくすると、顎の先からも雨がしたたり始めた。



暮六ツの鐘をきいて、源兵衛はようやく娘に声をかけた。

娘はゆっくりと振り向いた。
雨で顔が濡れている。目の下にはうっすらとくまが浮かんでいた。

「申し訳ないんだが、店を閉めたいのですよ」
娘は軽く目を見開いた。
あまり長いこと唇を結んでいたので、すぐには言葉が出ないかのようで、じっと源兵衛を見つめた。
それから「あいすみません」と、頭を下げた。
着物の裾にまで雨がしみている。真っ白な爪先が泥にまみれている。

「となたかをお待ちだったんですな」
娘は目を上げ、源兵衛を見た。
「気がすみましたか」
源兵衛は訊いた。
かたくなだった娘の唇が、初めてほころんだ。
「…はい。気がすみました」
「それなら中で暖まっておいでなさい」
娘は首を横に振った。
「じゃあ、せめて傘をお持ちなさい」

屋号の入った番傘を差し出すと、娘は少しためらってから受け取り、もう一度深くに頭を下げると、雨のなかに出ていった。



貸した傘は、翌日になって戻ってきた。
このあたりを仕切っている、鹿造という岡っ引きが持ってきたのだった。

「この先の長屋で夜鷹が首をくくってね。そこで見つけた」

源兵衛は傘を受け取った。
娘の顔がちらりとよぎった。
鹿造はあがりまちに腰をおろし、一人ごとのように言った。
「故郷(くに)から男と二人、手に手をとって江戸に出てきたはいいが、男はどうにもうだつがあがらねえ。このままじゃあ二人とも駄目になるからと、ひとはた揚げたら必ず迎えに来ると約束して、男は出ていった。それから十年だ。迎えに来ると約束したその期限が、昨日だった」

源兵衛の目に、車坂を見つめる娘の顔が浮かんだ。
「待つだけ待ったら気がすむだろうと思いましたんですがね……。もっと強く引き止めてやればよかった……」
「いや、それでも駄目だったろう」
鹿造は低く言った。
源兵衛は冷たい傘の柄を握ってつぶやいた。
「男はたいてい戻ってはこないものです」
「いや、そうじゃねえ。戻ってきたんだ」

鹿造は言った。
「男は昨日の夜明け前に戻ってきた。凶状持ちになってな。女は男を刺した。刺してから、男をそこに残して、この軒先でずっと待っていたんだ」

源兵衛は傘を置き、軒先に目をやった。
―――もう、すみました―――
娘はそう言った。
男が死に、娘の夢も死んだ。
夢がもう車坂を上がってこないことを確かめるために、娘はここで、じっと待っていたのだ。

車坂には、今日も雨が降っている。



2017.9.7 了




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