2017-01-04 21:35:31 |
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自分を犠牲にするなんて、
人聞きの良いことだわ。
貴方は、本当の犠牲者は。
[ 濡羽 ]
中学の勉強は小学校より一段と難しくなった。そんなフリをしたら親は納得したように、驚くほど何も言わなくなった。
高校では更に難しくなったような素振りを見せると、諦めたらしく今度は兄を褒めるようになった。
「 由鉉くんは凄いわねぇ 、 みのりちゃんも見習わないと駄目よ 」
90点の紙を手に兄を褒める母親の顔は気持ち悪く歪んで見える。でも気持ち悪いなんて言えない。母親の中の、花岡穣は、
「 ___ いいなあ、お兄ちゃん 」
今度勉強教えてよ。
私も90点、とりたいなあ。
今更思い出した高校で1番初めのテストのこと、そんな些細なことさえ忘れられていないなんてつくづく役立たずな脳みそに嫌気がさす。
ゆらゆらと揺れる視界にうつる45は、出来れば今すぐ消してやりたかった。
正しくはないけれど、あくまでも解き方のパターンとしては考えられるであろう方法で、確実に、正確に、丁寧に、間違った答えを導き出すのが、穣のテストで重要なこと。
そのためには正確な答えを出す倍の時間と思考力が必要で、パターンを考えて間違った解を出すという意味の無いことをひたすら行い続ける。
そして確実に平均点より少し下の点数を並べること。
それが、穣が穣として生きていくために必要な事で、あいされるために、必要なことだと思っていた。
あいされたいと思ったのは小学5年生の夏、方法を思いついたのは小学6年生の春、そしてそれを実行するようになったのは中学1年生の秋。
出来ることを出来ないと言うようになった。分かる問題をわざと間違えるようになった。穣として、愛されるための犠牲として嘘を積み重ねていった。
少しでも構ってもらえるように、必死で花岡穣を演じ続けた。毎日1人でお城を築き上げている。今も、昔も。
踏みにじられても壊れない、とても頑丈で丈夫な真っ黒いお城。
中身のない、嘘の詰まったお城。
お城を1度、簡単に壊された事があった。
それは、中学3年の雪の降った日。
あにを、兄だと思わなくなった日。
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