ユウヤ 2016-10-23 12:39:07 |
通報 |
【 Ⅰ 】
さて。まず始めに、ボクという生き物の話しをしよう。
ボクは耳の先から尻尾の先まで、まるでインクを被ったかのような艶やかな毛並みと、しなやかな尻尾が自慢の黒猫だ。
瞳の色はエメラルド色をしていて、街でボクを見かけた人間の多くは決まって「あら、綺麗なお目目の猫ちゃんね!」と言って、頭を優しく撫でてくれる。
数百年も前は、黒猫は不幸の象徴だなんて言って、見かけた人間のほとんどが、ボクのような黒猫達に向かって石を投げてきたのに、今じゃ餌をたらふく食べさせてくれるのだから、本当に平和になったとボクは思う。
街の人々からは「クロロ」だとか「クロ」だとか、毛並みの黒にちなんだアダ名で呼ばれているが、ボクにはご主人様からいただいた“クロワッサン”という名前がちゃんとある。
ちなみにご主人様いわく、ボクにくれた“クロワッサン”という名前は、人間がよく食べるあのクロワッサンからとったらしい。
理由は、初めてボクを拾ってきた時に、普通の猫の食べる食事をあたえても食べずに、ご主人様の手作りのクロワッサンばかりを欲しがって食べていたからだと言っていたが、なんだかそれはちょっと失礼な話だなとボクは思っている。
確かにボクは魚や肉なんかよりもパンが好きだ。特にボクのご主人様が作ってくれたクロワッサンは最高で、クロワッサンの他にも、よくボク専用に無添加の小麦パンを作ってくれるのだが、やっぱりクロワッサンのあの味には敵わない。
偏食である自覚はちゃんとあるし、パンばかりを食べるだなんて、まったく猫らしくないことも解っている。しかし、だからといって“クロワッサン”という名前にしなくてもいいんじゃないかとボクは思うのだ。
ということはだ、もしもボクが出会った時から、魚ばかりを食べていたなら名前は「フィッシユ」とか「ツナ」とかになっていて、肉ばかりを食べていたなら名前は「ミート」とか「レア」なんていう名前になっていたのだろうか?
猫の中には野菜が好きな猫だっている。街の古本屋の娘が飼っているセシルというメスの白猫がいい例だ。
彼女は猫では珍しく野菜が大好きで、食事の時には必ずレタスやカリフラワーなんて物を食べている。しかし、だからといって名前が「レタス」だったり「カリフラワー」だなんていう名前ではない。
つまり、ボクが何を言いたいのかというと、クロワッサンばかり食べていたからと言って、名前までクロワッサンという名前にしなくたって良かったのではなかったのか。という話だ。それならばまだ“パン”という名前の方がまだましだ。
クロワッサンという物を見たことのない猫ならまだ多少の誤魔化しがきくが、今時の若い猫は、恐ろしいほどに物知りで困ってしまう。
昔なら誤魔化せていたこの名前も、今じゃ初めて合った猫達に「ボクの名前はクロワッサンだよ。よろしくね!」なんて自己紹介をすると、いつも「クロワッサン?へー!随分と美味しそうな名前だね!」なんて返されてしまい、なんだか少しだけ恥ずかしい気持ちになってしまうのだ。
「猫が名前で恥ずかしがるなんて…」と思ったなら、きっとそういう奴に限って自分達の飼っている猫にハリウッドのお金持ちの名前をつけたりするのだろう。
この話しをご主人様に言ってみたら、ご主人様は笑いながら「そう思うなら、クロワッサンという名前はまだましなんじゃないかしら?だって、世の中には“ニンゲン”だなんて名前を猫につける人間がいるのよ?」と言って、頭を優しく撫でてくるもんだから「まあ、ならしょうがないか…」と、もうそれ以上は何も言えなくなってしまったのである。
トピック検索 |