北風 2016-09-11 16:47:48 |
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車を降りて駐車場からしばらく歩くと、私達は所狭しとビルが立ち並ぶネオン街に入っていた。
会社帰りのサラリーマンや客引きのホストに混ざり、夜の繁華街を学生二人とその筋らしい男性と美女が闊歩する。
うぅ、凄い浮いてるよ……。
めっちゃ見られてるし……。
居心地の悪さを目いっぱい感じながらおどおどと歩く私とは半面に先頭を悠々と歩いていた昶くんは、ある一軒の居酒屋の前で足を止めた。
店頭に掲げられた看板には趣のある字で『鈴八』と書かれている。
どうやら中々に繁盛している店らしく、外からでも店内の賑わいが感じ取れた。
と言っても居酒屋は居酒屋。
未成年が入りにくい空気はある。
だが、昶くんは一切逡巡せずに入り口の引き戸に手を掛けて普通に入店した。
戸惑う私を尻目に、空田さんと鴫羽さんも続く。
「あ、ああぅ……」
置いて行かれないように、私も慌てて後を追う。
中に入ると、お酒と料理の匂いが鼻腔を弄った。
きょろきょろと辺りを見ると、どの客も楽しそうに笑っている。
どんな所に連れて行かれるのかと怯えていたが、どうやら本当にただの居酒屋のようだ。
何だか拍子抜けしたような気分だが、まあとりあえず一安心して良いみたいだ。
――と、思った矢先。
盛大に何かが割れる音が響き、店内が一瞬にして静まり返った。
「っどぉいう事だよコレぇ!? ぇああ!?」
「えっと……そう仰られましても……」
入り口近くの席に三十代くらいの男が座っていて、若い男性の従業員に詰め寄っている。
机の脚付近には割れたグラスと思われるものが散乱している。
恐らくさっきの音はこれが割られた音だろう。
男は呂律の回らない口調で更に従業員を問い詰める。
「どぉ見てもおっかしいだろがよぉ!? オレこんなに食った覚え無いんですけどぉ!?」
男の手には伝票が握りこまれていた。
一人で結構頼んだようで、レシートの最下部に明記されている合計金額はゆうに三万円を超えていた。
「え……で、ですがお客様がご注文なされたのは、こちらで間違い無いかと……」
「はぁー!? 適当言ってんじゃねぇぞこの野郎!!」
絡まれている従業員は見た所大学生くらいだ。
恐らくこの手の悪質な客に捕まった事が無いのだろう、おろおろと困ったように視線を彷徨わせていた。
そんな従業員に対し、男は更に罵声を浴びせ続ける。
「こんっの、ぼったくりやがってぇ! っろすぞテメェ!!」
「あ……え……あの……」
従業員は気の毒な程萎縮してしまい、今にも泣き出しそうだ。
ど、どうしよう……。
私に何が出来るわけでもないけど、このままにしておいたら暴力沙汰になりかねない。
そう思ってちらりと昶くんに視線を送ると、昶くんは微笑み返してきた。
いや笑ってる場合じゃないよ。
そんな意味を込めてじとっと昶くんを睨んだ時。
だん、と。
男の怒声以外無音だった室内に、もう鈍い音が鳴った。
自然と、店内の目は音源に向く。
店の奥の方のボックス席。
そこに座っていた五十代くらいの男性が、机に乗ったビールジョッキを右手で掴んでいた。
ジョッキを割れない程度の強さで机に叩き付けたのだろう。
灰色のスーツに白髪交じりのオールバック、黒縁眼鏡。
いかにも真面目なサラリーマンといった風貌だが、眼鏡の奥の眼光は鋭かった。
「……オイ、さっきから黙って聞いてりゃテメェよぉ……」
シンとした店内に男性の低い声が響く。
「何この店に難癖付けてくれてんだぁ? 『鈴八』がぼったくりなんざする筈ねえだろ」
言いながら立ち上がった男性は、ゆっくりと歩いて先ほど従業員に文句を言っていた男に近づく。
「単にお前が記憶飛ぶまで飲んだってだけなのにギャーギャー喚き散らしてよぉ……そんな年になってまで恥ずかしくねぇのか? ……言っとくけどなぁ……『鈴八』はここれの店の中で一番常連客が多い……ぼったくりはしねぇって事はみーんな分かってんだよ」
そこで男性は一旦言葉を区切り、足を止めた。
場所は丁度例の男の目の前だ。
男性は威圧的に彼を見下ろすと、吐き捨てるように言った。
「分かったら慰謝料含めて金払って、とっとと失せろ」
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