風人 2016-04-04 04:41:02 |
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小説『パトレイバー TNG』で三代目隊員の明は九州かと思えば埼玉という。
初代の野明が北海道苫小牧に比べたらやや平凡感は否めない。
塩原にしても父はふつうのサラリーマンであり初代の遊馬が篠原重工の次男に比べたらこちらも平凡は否めない。
だけどなぜこういう違いを人物に作ったかという押井守氏の意図。
アニメや漫画の頃の『パトレイバー』はレイバー犯罪在りし日の全盛期、かたや小説および実写映画の『TNG』は世界からはおろか日本からもレイバー産業がほぼ撤退したなかに数少ないというか唯一特車二課があるというレイバーが衰退したなかでのパトレイバーがある存在。
レイバーそのものがほぼ日本でさえも活躍してないのにパトレイバーが時代から取り残されたように埋め立て地にある。
高度経済期やバブル期の頃さえの夢や希望さえないという。
とりあえず読んでわかるのは現代の若者同様に塩原や明たちは夢やその他のモノが喪失してるなかで何かを得ようと埋め立て地特車二課で等身大で悩み葛藤しつまらない言い合いや喧嘩しバカ騒ぎを繰り返しながら得ようとすること。
押井守氏が『うる星やつら』やかつての『パトレイバー』と同じことを描きながら夢や青春などを取り戻そうとしてるのではないだろうか、と思う。
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