ゴースト 2015-12-19 22:24:54 |
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彼らと暮らして半年ぐらい経った頃だったと思う。
アメリカを始めとするNATOが、スルツキの勢力下の地域に爆撃を始めたって聞いた。
後で知ったけどさ、もっと前から国連として活動はしていたんだけど、遅すぎるんだよ。
もう何もかもが遅すぎるんだ。
そして彼らと暮らして大体1年2ヶ月ほど経って、1994年の12月になったんだ。
1月から停戦になるから、祐希はサラエヴォへ行って、そこから国に帰りなさいって言われたんだ。
でも、僕はもう嫌だった。
というより、これから先、全てを背負って生きていく自信がなかったんだ。
集落を出発する朝、僕を世話してくれた夫婦とか、民兵の人が集まってくれたんだ。
だけど、僕はもう無理だって、もう死にたいって思ってさ、頼んだんだ。
頼むから僕を殺してって。
痛くても我慢するから、殺してって。
大切な友達達も皆いなくなってしまったのに、生きていても辛いって言ったんだよ。
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