雪風 2015-06-07 23:36:40 |
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図書館を出ると雨がポツリポツリと降っていた。
大した雨じゃない。
そう思い、いつもと変わらぬゆっくりな歩調で帰路に着く。
家に向かう足取りはいつも重い。
別に家が嫌いなわけじゃない。
僕の家は大きく立派だ。当然お金持ちだ。
両親は優しく接してくれる。
そう思う。本当にそう思う。
だから家が嫌いな理由はない。
確かに妹とは仲が良いとは言えない。
というより悪い。
でも僕の妹だ。僕が家に帰ることに嫌悪感を持つほどの影響力などあろうはずがない。
だから僕が母屋でなく離れに一人住んでいることも、そして食事を離れに持っていって孤独に食べることも僕が選んだ。
僕の考えで決めたことだ。他の誰の意思でもない。
そこに妹の存在は全く関係ない。
「気楽なもんさ。」
自嘲気味に呟く。そして力なく笑みを浮かべた。
大通りで信号待ちをしていると、正面に若い母親と幼い男の子が向こう側に立っていた。
傘を持つ母親の空いた方の手をしっかりと握る男の子。
「雨が強くなってきたよ!早く帰ろう!」
元気の良い男の子の声が耳に届いた。
車が目の前を何台か通り過ぎた。男の子の言う通り雨足は少し強くなっている。
今度は母親の明るい声が聞こえた。そして母親は雨に濡れないように男の子の身体を自分に引き寄せる。
男の子の笑い声が響いた。
楽しそうな母子の光景が眩しかった。
だから直ぐに僕は目をそらす。
幼い頃、僕とお母さんも似たような関係にあった。
昔を思い出す。
でも、すぐにそれを止める。
それを思い出しても楽しい気持ちにはならない。
今の僕にはそんな想い出など無意味なことだ。
お母さんの再婚という決断は、いったい誰かを幸せにしたのだろうか?
僕に血の繋がらない父と妹が出来た。
父は金持ちだし優しい。
でも僕は幸せになったのだろうか。
わからない……。
幸せを感じるほどではない。でも不幸だと感じてもいない。
信号が変り僕たちはすれ違うが、僕はうつ向きながら歩き、母子をやり過ごした。
大通りから裏路地へと入る。
そこから暫く真っ直ぐに歩いた。
家は着々と近付く。
雨足は直ぐにまた弱まった。
家と家の間の雑然とした細い道を歩いていると、古びた平屋の家の門から突然に何かが僕の足元に飛び出してきた。
それは小さく白い何かだった。
僕はグッと爪先に力を入れて身体に急ブレーキを掛ける。
踏まずに止まることができた。
小さく白い何かが僕の足元にすり寄る。
猫だ。白い仔猫だ。
ズボン越しに暖かさが伝わってくる。
何だか言葉では言い表せない心地よさ。
足元を動き回る仔猫を見ながら僕はじっと動かず、暫く仔猫の温もりの心地よさを感じていた。
仔猫を見ている内に気づく。
左の耳の先にの方が少しだけ欠けている。
何かに噛み千切られたのだろうか。
「あらあら、ごめんなさい!」
女性の声がした。そしてサンダルを引き摺るように駆け寄って来る音がする。
それは仔猫が飛び出してきた平屋の方からだ。
音のする方に顔をむけると、30代前半くらいの美人とも不美人とも言えない女性が、華やかさの欠片もないエプロンをしてこちらに向かってバタバタと走ってくる姿があった。
女性は僕の前に来るとかがみ込み仔猫を抱き上げた。
「姿が見えないと思ったら家の外にいるなんて。駄目でしょ!」
そう言って睨んでるような笑ってるような顔をした。
「メ!」
今度は完全に笑みを浮かべながら仔猫に顔を近づけていた。
「あの……」
僕は女性に話し掛ける。
「あの、この仔猫の耳……」
女性は僕の方に顔を向け。
「ああ、気づいたら耳が千切られたのよね。この子の兄弟にやられたのかな……。この子ね、生まれつき目が見えてないみたいなのよ。だから、母猫の居場所すらわからないのよね。母猫のオッパイの場所も当然わからないから、良くお乳の出る所は他の兄弟に取られて身体も大きくならなかったのよ。もう乳離れはしているけど、あまり大きくならなくて。他の兄弟達は貰い手もあったんだけど、この子は残っちゃたんだー。仕方ないよね。目が見えなくてちゃんと育つか判らない子だから。」
気がつくと僕は言葉を発していた。
「この仔猫、僕が貰ってもいいですか?」
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