白亜 2015-01-27 15:46:03 |
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彼女は不服そうに肘を付きながらグラスを持ち上げ、底の部分此方に傾けた。然し、俺が黙ってカウンターを拭くのを確認すると再び連れの客に話し始めた。
隣の男は彼女よりいくらか若いように見える。短く揃えられた黒い髪からは真面目な印象を受け、一重の割に大きく、実直そうな瞳には涙が滲み続け溢れることもなく、乾くこともなく、ただ粘膜に張り付いていた。 彼はまだ数回しか此処に足を運んでいない。それもネグローニの女について来たことしかなく、酒もあまり強くないように見受け彼にはトムコリンズを提供していた。
数日の会話内容からして、トムコリンズの男には交際している女性が居たようだ。ネグローニの女ではなく大学時代からの彼女であった。然し結婚願望の有無そのものに相違があったようで、別れる別れないとくだらないことで気分を損ねている状況だ。俺はネグローニの女が好意を寄せている、と暴露してやりたいような衝動を雨音でかき消した。
一人で来る客は物思いに黙って呑むことが多いが、この客は違う。俺が何をしているのかを観察しながら、目が合うと嬉しそうに微笑み話し掛けてくる。よく職場の同僚の話や、同級生だという獣医の話しをしているところからすると友人が居ない訳ではなさそうだが、週に2、3度来る割に一人も連れて来ていない。そして彼が何を生業にしているかもいまいちよくわからない、どこかの研究機関に居るようだがそれ以上のことは何も明かされず、此方から聞くこともない。俺は、よくわからないまま会話の相手をしているが実はある共通点がある。それは彼自身も知らない共通点だろう、それはお互いに人に興味が無いということ。彼は同僚の話しをする時も、同僚の所持品の話しや飼い猫、犬の話し獣医の話しも連れられた動物の話し、よほどの動物好きかと思ったが聞けばそうでもないらしい。俺に話し掛けて来る場合も俺自身については何も訊ねて来ない、ひたすら仕事内容か酒の歴史を話させようとする。 酒の歴史ならいくらでも話せるのだが、以前話した際は閉店間際まで質問攻めにされたのでなるべく避けることにしている。今日も俺はなるべく自然に視線を合わせないように逃げている。
そして俺が何度目かの酒をその客に提供した時、冷たい外気が流れ込み店内の空気が糺されたような気がした。カツカツと規則的な軽い音の先を見ると、そこにはオフホワイトのロングコートを着た女性が立っていた。
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