風人 2014-11-27 06:43:01 |
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『SEED destiny』の小説を読むと何故戦いが起きるのかということにはじめ焦点が置かれ、デュランダル議長とカガリの言い合いがある。
力があるから戦いがある、戦いがあるから力がある、どちらもある意味正しい。
なによりオーブの立場がいまの日本の立場に重なりますね。
アメリカと同盟は現実上やむをえないにしても戦争の支援を積極的にしていくのは九条に相反するのは誰もが考えること。
『destiny』のオーブが理念に反し曲げたのは関係のない戦争に関わり兵士たちを死なせた行為にカガリやキラたちは悲しみ憤る。
プラント側の積極的自衛権の行使という表現に作品内ではアスランは半ば議長に騙され操られ戦争に荷担してしまう悲劇もある。積極的自衛権の行使は危険な言葉とも取れた。
デュランダル議長に相対するジブリールにしても経済力や技術力はあるかもしれなかったですが政治力は彼やロゴスには欠けてたのもあったかもしれない。
他のガンダム作品なら連邦の民主主義にたいしてジオンの独裁、ティターンズの軍事主義、ネオジオンのザビ家崇拝、シャアのスペースノイド独立などありますが『SEED』系はこの辺がただ敵を滅ぼせになってるのが少々ざんねん。
『destiny』においてはザフトやプラントは守るためや連合から独立したい人々の支援という意味は正しい。戦争自体はいけないですが。
反面、デュランダル議長にいいように連合、ゲリラ、市民たちがニセラクスことミーアの存在もあって操られる危険もあるのがうかがえる。
小説読み直すたびにシンやルナマリア、タリア艦長たちが中盤まで真相を知らずに戦ってる一面もある。
ちょっと考えさせられる。
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