風人 2014-11-27 06:43:01 |
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『ガンダムAGE』は敵を知り理解しわかりあえるというのもひとつのテーマ。
フリットは“敵”としてしか認識しなかったら殲滅するという方向に働き、アセムやキノは“同じ人間”として出会ったことで考えがフリットとは方向がまるで異なる生き方や思想として昇華されてゆく。
『ガンダムAGE』は一年のなかでシリーズを書いてゆくなか尺不足もありましたが、三世代を重ねるなか“間違った大人たち”の生き方も書いていった作品と思う。
なにが“戦争を生む”のか“互いに戦うことの意味への問いかけ”、“政治が持つ嘘や欺瞞のあらわれ”、連邦もヴェイガンも市民や民衆が考え自分たちのなかの腐敗と戦う意思がないと時代に流される危険もある。
フリットは復讐に生きることで考えることを拒否した。敵と和解や手を取り合える選択肢をわかってたのに拒否した時点で無為な犠牲を百年ちかく出すことになり戦後はいろいろな世代から糾弾され暗殺の危機もあったという。
敵との和解や手を取り合うのは現実、むずかしいとも思う。
小説版ガンダムSEEDでイザークが“手を差し伸べた後に背を向けた瞬間、銃を向けられたらどうなる”と疑問に思う場面があるのも現実おなじ。
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